【720】長崎---「信徒発見」から150年

先日3月6日~10日まで長崎、五島列島を訪問したことは、
前回に記した。五島列島教会巡礼の前後に長崎に3泊した。
家人は、以前から長崎へ行きたいと言っていたので、スケジュールの
合間を縫って長崎の街歩きも楽しんだ。
夜は、海の幸を楽しんだことは言うまでもない。
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さて、今回は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がユネスコ
世界遺産候補に推薦されたこともあって、その関連行事にも参加した。
長崎の街は、いま、「世界遺産」という掛け声で盛り上がっている。
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特に今年2015年は、150年前に起こった「信徒発見」という出来事によって、
記念すべき年なのである。

徳川家康の禁教令が出されたのは、1612年。
明治6年(1973年)に禁教が解けたものの、キリスト教徒は、
弾圧迫害を恐れ、長崎、天草、五島などの僻地に潜伏し、250年間、
七代にわたり家族内で密やかに信仰を守っていた。
いわゆる「隠れキリシタン」である。

1865年3月17日金曜日の昼下がり、
フランスから赴任してきたプチジャン神父(Petitjean 1826-1884)は、
大浦天主堂の戸口に10数名の日本人が堂の中に入ろうとしているのを
見つけた。そのうちの一人の婦人は、神父の耳元に
「われらのムネ、あなたのムネとおなじ」とささやいた。
更に続けて問う。
「サンタ・マリアのご像はどこ?」
この垂れ幕が掲げてある建物は、大浦天主堂の階段の脇にある大司教館
多くのキリシタンの教会を建設した鉄川与助(1879-1976)の作品である。
資金は、フランスのド・ロ神父(do Rotz 1840 -1914)がねん出した。

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こちらは、大浦天主堂の内部。内部では撮影できないので、
入口の外からスマホで撮影した。
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長崎郊外の枯松神社という場所は、隠れキリシタンたちが、密やかに
集まって、おらしょ(祈祷)を口伝で練習した場所として有名である。
こちらは、キリシタンの素朴な墓石。
平らな石が置いてあるだけのものだが、
その墓石の上に10個ぐらいの小石が散らばっている。
墓参したときに、十字の形に並べ、その後は、小石を散らして
墓石であることを悟られないようにしたという。
文字などは刻まれていない。何という悲しい作法だろうか。
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大浦天主堂のすぐわきに有名なグラバー園がある。
グラバー(Glover 1838-1911)という人はもともと武器商人であったが、
日本人の妻を娶り、日本の土に還った。
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この時代に何等かの縁があって日本人と接触した外国人は、日本語を習い、
日本人のよき協力者を得て、最後は、日本の土に骨を埋めた。国際交流と
言えばかっこいいが、大変な苦労の連続であったろう。長崎の歴史は、
こうした外国人を受け入れ、諸外国の文化に立ち向かい葛藤する努力の上に
築かれたと言えよう。

グラバー園、大浦天主堂から、オランダ坂、活水女子大学の坂を通り、
長崎新地中華街のほうへぶらぶら歩きを楽しんだ。
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その途中に古めかしい煉瓦造りの建物があり、若い女性が撮影していた。
そこは、旧英国領事館

あたりには、自家製のカステラを焼く店があったり、蒲鉾屋があったり・・・
新しいものと古いものが混在していて、楽しい町歩きになった。

by tamayam2 | 2015-03-21 11:20 | たび
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