3月6日~10日まで、上智大学主催の「長崎・五島列島キリシタンの
足跡を訪ねる旅行」に参加した。卒業生、在校生、カトリックの神父様など 総勢70名の団体旅行だった。 長崎から100キロも離れた五島列島には、ジェット・フォイルという 高速ボートで1時間半。 江戸時代には、流刑地でもあった。さもありなむ・・・。 南の島は、福江島と言って、五島市になっている。 最北の島は、中通島で、そこは、上五島町。 市と町の違いがあるばかりか、江戸時代には、南は大村藩、 北は、鍋島藩であり、それぞれの大名はキリシタンへ対応が微妙に異なって いた。キリシタンの締め付けが厳しくなってから、隠れキリシタンの人々は、 北の過疎地の奥地へ、どんどん逃げ込んでいった。 10以上の教会を巡って印象がバラバラになりがちなのだが、北の上五島地区 (最も過疎地)が一番心に残った。 これらの教会群は、いま世界遺産の候補になっている。 明治6年禁教が解禁になってからの教会群は、レンガ造りの重厚な建物もあるし、 木造の建物もある。 上五島・頭ヶ島(かしらがじま)教会は、珍しく石造りの建物であった。 教会の外部は撮影ができるのだが、内部の撮影は、原則的に禁止されている。 下の写真は、HPより。花をモチーフにした木造のレリーフが美しい教会だった。 祭壇は、撮影禁止なのはわかるが、素朴なステンドグラスの光を撮影したい と思っていた私は、がっかりした。 こちらのステンドグラスは、最も北はずれの江袋教会で撮影した。 (室内では撮影できないので、外で撮った。) この教会は、火災に遭って再建されたので、木造である。 ほとんどの教会は、土足厳禁で、入口で靴を脱ぐ。 トイレは、別棟になっており、どの教会も世界遺産候補を意識してからか、 過疎地にもかかわらずよく整備されていた。 頭ヶ島教会は、本島から離れた小島にあるのだが、橋で繫がっている。 岬のはずれに教会の共同墓地が広がっていた。前の島は、轆轤(ろくろ)島。 信者の墓地がどこまでも続く。十字架が林立する様は過酷な迫害を避けて この地に住みついたキリシタンたちの過酷な生涯を封印しているように見えた。 教会の内部は、おおかたリブ・ヴォールト様式というのだろうか、 曲線の梁で大きな天井が支えられている。 ガイドさんの言葉でいうと、“コウモリ天井”。 うむ、たしかに、コウモリ傘の骨組みのようである。 たいていは、鉄川与助(1879~1976)の設計が基になっている。 信者たちがなけなしの金を貯めて、何年もかけて建設された。 五島列島のいたるところでよく目にしたのは、野性のヤブツバキ。 椿油、ツバキ飴・・・は、アゴ(トビウオ)の煮干しとともに、島の産物 になっている。 われわれは、ツバキの花が咲けば美しいなぁと思うが、島の主婦らは、 「今年もようけ実がなったら、小遣いが増えるなぁ~」と思うそうである。 ガイドさんは、昼食の食卓に載ったマグロの刺身を見て、 「東京のみなさんは、マグロがお好きですね。 ボクは、マグロは食べまっしぇん。だって、近くの海で捕れる新鮮な小魚が あるでっしょ? それば、食べよると、うまかですタイ!」と。 本当に島は、農業こそパッとしないようだが、海の幸は実に豊かなところなのだった。 この海の幸によって、隠れキリシタンたちの命が長らえることが できたのだろうと感じた。
by tamayam2
| 2015-03-20 10:14
| たび
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