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【603】東京の坂道

4日、マロニエの花咲く銀座について書いた。

その日、東京方面に向かっていたとき、電車の窓から線路沿いに赤い花が
咲いている道が長く続いているのが見えた。総武線、水道橋から
御茶ノ水にかけての道。やはり、これは確かめてみねば、と思い立ち、
6日、お茶の水で下車し、水道橋まで歩いてみた。
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その道は、緩やかなスロープになっており、人通りがほとんどない。なのに、
みごとなベニバナトチノキの並木が続いていた。フランス語ではマロニエ
ドイツ語ではカスタニエ。ドイツではこの花が咲き始めると、それが合図のように
人々はこの木の下にテーブルをひろげ、ビールを飲み始めるのだった。
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さて、この坂は、こんな名前。皆さま、この漢字が読めるかしら?
へ~、こんな漢字あったんだ! 

あるのですよ、これが。
これは、サイカチと読みます。
して、サイカチをご存じではない?
そうでしょうね。私にとって、この木は、ドイツで初めて知った
思い入れがある木でした・・・。しかも、日本原産!?

サイカチ【皁莢 皂角 マメ科ジャケツイバラ属 Gleditsia japonica】
道標によれば、坂の上に3本のサイカチの木がある、ということでした。
さっそく、線路沿いの木を調べてみました。
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植え込みの間に確かにありましたが、目立たない所で、標識も無く、
これではだれも気付かないでしょう。
サイカチの実は、長い莢に入った豆なのですが、昔は、シャンプー代わりに
使われていたということです。サボニンがたくさん含まれているのです。
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サイカチの一番の特徴は、トゲというか、鋭い針がいっぱいついていて、
とても動物が近づくわけにはいかないのです。しかし、昆虫はこの樹液が
大好きなようです。
葉は、マメ科ですから、アカシアなどと同様に羽状複葉の涼しげな葉です。
これから、東京の定点観測の木にします。
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その道の傍らで見た、唐種招霊の花。神社などで見る木ですね。中国語で、含笑花ですって。感じが出ていますね。
カラタネオガダマ【唐種招霊 モクレン科 Michelia figo】
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こちらは、水道橋駅前の東洋高校の傍らで見た、白花のトチノ木の葉。
静かな坂道を下りながら、たくさんの珍しい樹木を見ることが
できました。楽しみな散歩道になりそうです。

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by tamayam2 | 2013-05-07 16:30 | 日々のできごと | Comments(16)

【600】Blog開設600回 げんげそうの歌に寄せて

ちょうど1年前の5月5日に、500回目でした。1年で約100回更新した
ことになります。初めてExcite Blogを開設したのが2007年 8月2日。
6年経って、600回ですから、やはり年平均100篇の写真つき短文を書いた
ことになります。今日は、ちょっと回顧的なお話をさせてください。
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♪・・・ねんねのお里のげんげ草
      ぽちぽち仔牛も遊んでる。
        牧場の牧場のげんげ草
          誰だか遠くで呼んでゐる。

この歌は、北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡で、昭和6年ごろの日本童謡曲集に
収録されている童謡です。あまり知られているとは言いがたいこの歌について
以前、Blogで知り合った方がこの歌の思い出を書いておられ、飛び上がるほど
驚いたことがありました。私にとって、どこか幻想のようなこの歌を、
現実に知っておられる方がいたという事実に驚いたのです。
消えがてのうた part2 

なつかしい、なつかしい歌です。
私の幻想では、この「ねんねのお里」は、幼児のころ一時期疎開していた
奈良県・富雄という場所につながるのです。
戦後まもない昭和21年、22年(1946~47年ごろ)のころです。
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近くに小川が流れており、家の横の畑には一面にレンゲが咲いていました。
仔牛がいたかどうか、記憶にないのですが、近くにレンズ工場があって・・・
レンゲ、タンポポ、スミレがいっぱいのこの原っぱが私の遊び場だったのでしょう。
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当時母がよく歌ってくれたこの歌のイメージと、おぼろげな幼少時の記憶がいっしょになって、この場所が私の頭の中で「ねんねのお里」、あるいは、
「げんげのお里」として定着したらしいのです。
2番以下はこのように続きます。

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♪~ねんねのお里はよい田舎
   ぽつぽつお汽車で下りたなら。
    道はひとすじ田圃道
     藁屋に緋桃も咲いてます。
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♪~ねんねのお守はゐやせぬか
   ちよろちよろ小川もながれてる。
     いつだか見たよな橋もある
      小藪のかげには閻魔堂。
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♪~ねんねのお里で泣かされて
   お背戸に出て見たげんげ草。
      あのあの紅いげんげ草
         誰だか遠くで呼んでゐる。

曲は ここ⇒ 聞くことができます。

家の横を流れていた小川、近くにあった、御堂。
閻魔堂であったかどうか・・・ほの暗い場所に御堂があり、薄暗い竹林があり、
子供心に怖かった思い出があります。
遠くから聞こえる人の呼び声、牛の鳴き声・・・
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最後のフレーズ、♪~あの、あの紅いげんげ草・・・母の繰り返し歌っていた
声が聞こえてくるようです。

当時は、妹もまだ生まれていなかったので、この風景を記憶しているのは、今や
私だけになりました。いくら、小川にかかる橋の角にあったこの家の話をしても
老女の繰り言にしか見えないので、黙っておりましたが、白秋の描いた風景が
あまりにも私の記憶にある、あの場所にそっくりなので、驚いてしまうのです。
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おそらく、昭和初期に、日本中のどの場所にでもあった一風景なのでしょう。
きっと、みな様の記憶の中にもそういう原風景というような、大事に
心にしまっておきたい場所があるに違いありません。

最近、げんげ草(れんげ草)を見ていないので、写真がありません。
赤城自然園で見たスミレの数々を載せました。

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by tamayam2 | 2013-05-02 14:07 | 日々のできごと | Comments(12)

【594】アメリカから来た植物2つ

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我が家には、ろくな樹木がないのだが、唯一先代がわざわざ植えたものが、
アメリカハナミズキ。今から45年ほど前のことである。当時は、珍しい樹木で、
亡母は、この木をdogwood(犬の樹)と呼んでいた。アメリカでそう呼ばれているから
と言って・・・。今では、街路樹や公園でもよく見かける花木である。

米国では、この花は、キリストの磔刑を思わせる花として知られている。
白い花びらと思われる部分は、総苞で、その一部が赤く染まっている。
それが、十字架につけられたキリストの血潮、茶色のさび色が、釘跡と見られる。

中心のつぶつぶの部分が、植物学的には花に当たる。その部分は茨の冠に見立てられる。
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そう思って見れば、なにやら意義深くも見え、この花がちょうど復活祭のころに
咲くことから、キリスト教の国の人のイメージの豊かさに感心してしまう。

1912年に日米友好のしるしとして、日本がアメリカに贈ったソメイヨシノの返礼として、
3年後、ハナミズキが日本に来たことは、よく知られている。
アメリカハナミズキ【米国花水木 ミズキ科 Benthamidia florida】
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先月末、八王子市の丘陵地帯で、めずらしいスミレを見た。
アメリカスミレサイシン【米国菫細辛 スミレ科 Viola sororia priceana】 
数株が点在しているのではなくて、かなりの面積にわぁ~と生えていた。
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インターネットで調べると、かなり繁殖力が強い種類で、里山や野山に浸食しつつ
あるので、少し脅威を感じている人もいるようだ。
かわいらしいスミレではあるが、やはり、日本のスミレより、
紅毛、青目ぱっちりのSumireさんという感じがする。

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by tamayam2 | 2013-04-09 06:33 | 日々のできごと | Comments(10)

【589】桜満開の卒業式

3月26日、人に会う用事があって、四谷に出かけました。
うすら寒い日でしたが、駅を出ると、正面のイグナチオ教会わきの
土手に満開のサクラが! 
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あらあら・・・と突然現れたサクラに驚いていると、駅から、
和服姿のお嬢さんたちがどんどんどんどん出てくるではありませんか!
え? こりゃ、何だ、何だっ??
全く予期せぬことでしたが、その日は、上智大学の卒業式だったのです。
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まぁ!この頃の卒業式の晴れ着は、袴姿、そして、編み上げの革靴。
まるで、NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公、新島八重さんみたい。
大正時代の女子学生のようですね。新島襄は八重のことを、“ハンサム・ウーマン”と
呼んだようですが、きっと進取の気性に富む、聡明な女性だったのでしょう。
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美しく着飾った卒業生たちの顔は、自信に満ちて輝いていました。
どの人も今人生の晴れ晴れしい門口に立っているのでしょう。
若い女性っていいなぁ~と心から美しいと思いました。

土手には、桜の古木が伸びた枝を支柱に支えられながら、精一杯花を咲かせています。
私が大学生のころも、この木があったはずです。こちらは、相当なおじいさんでしょう。
卒業してウン十年もたちましたが、なんだか昔のことを思い出して懐かしく
土手を歩きました。
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このレンガ造りの校舎は、私が学生だったときからある一番古い建物です。
本館と呼ばれていましたが・・・・今の学生たちも何やら気ぜわしそうに
メインストリートを闊歩していました。

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by tamayam2 | 2013-03-28 08:51 | 日々のできごと | Comments(8)

【584】小田原にて 辻村伊助のこと

3月に入り、三寒四温の日々が続いています。北国からは、雪や雪崩の被害が
伝えられています。今年の冬は、殊のほか厳しかったようですね。
3月5日、春めいて気持ちよく晴れた一日、小田原へ行ってきました。
小田原の駅前で白秋のこんな言葉を知りました。
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小田原は、海もあり、山もありいいところなのに、なぜか人は、みな小田原を
通過して、熱海や箱根へ行ってしまう・・・。白秋は、小田原に住み、
私たちがよく知っているたくさんの童謡の作詞をしたということだ。たとえば、
「この道」、「からたちの花」、「ペチカ」など・・・白秋の作品1200篇の半数は、
小田原で生み出された。その白秋は、関東大震災(1923年 大正12年)で
自宅が半壊し、東京への移転を余儀なくされた。
北原白秋(1885年~1942年)
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来週は、東日本大震災の3周年を迎えるのですね。
関東大震災からは、今年は90年目です。

 この日、小田原に立ち寄ったのは、人伝手に聞いた「辻村植物園」というのを
訪ねてみたいと思ったからです。今は、小田原市が管理している自然公園ですが、
明治40年、辻村という素封家の六代目が、ここに広大な農園を開き、園芸用の
農場を経営したということです。辻村常助氏と弟の伊助氏です。
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 辻村伊助氏は、東大の農芸化学を卒業後、スイスで高山植物の研究をした。
アルピニストとしても活躍、スイス人女性と結婚し、帰国後、箱根湯本に本格的な
高山植物園を造園した。しかし、関東大震災で自宅の裏山が崩壊、家族全員が
土砂に埋もれて死亡。辻村伊助(1886年~1923年) 
登山に関するいくつかの著作もあり、
『スウィス』(1922年)、『ハイランド』(1936年)などが平凡社ライブラリーに
収められている。

私が訪れた辻村植物園は、広大な丘に白梅が真っ盛り・・・ちょうど良い日に
当たっていたが、訪れる人もまばらでもったいないようだった。
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小高い丘からは、小田原市内と青い海が見渡せた。

道路をはさんだもう一つの農園には、見事な竹林や、外国の珍しい樹木園ができていた。
ゴッホが愛した糸杉やオーストラリアに多いユーカリの巨木、イチョウの大木なども。
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西洋でたくさんの植物園を見た伊助氏が、どんな構想をもって日本で個人の植物園を
経営しようと考えたのか・・・歴史上の人物の果たせぬ夢を探りながら梅林の中を
歩き回った。

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by tamayam2 | 2013-03-06 13:45 | たび | Comments(11)

【568】さようなら2012年、ようこそ2013年

どなた様も平穏に新年をお迎えになられたことでしょう。
東京は、肌寒い日ですが、あと数時間で新年を迎えようとしています。

いろいろあった2012年が去り、2013年に移ってまいります。
Blogを通じて言葉を交わしあった友人のお一人一人に新春のお悦びを
申し上げます。2013年もどうぞよろしく、おつきあいくださいませ。
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この写真は、11月7日に、羽田から出雲方面へ行く飛行機から
撮ったものです。雲海にそびえる富士山の姿は、やはり素敵でした。
コンデジでも、山すその紅葉らしい影を映し出しております。
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この頃は、だれでもカメラ、i-Pad、スマホ、ケータイから・・・
映像を簡単に撮影することができ、ちょっとでも珍しい風景があれば、
みなが「カメラマン」に変身します。

フィルムから、電子メディアへ、カメラの世界はこの10年に画期的に変化しました。
それでも、自分の生活の一コマを自分の眼で切り取って残したい、という思いは、
写真を愛するだれもが考えることでしょう。誰でも「カメラマン」になれるいい時代
になったのです。

2012年もたくさんの写真を撮りましたが、2013年も記録としていろいろな
楽しい場面や瞬間を撮っていきたいと思います。
それぞれの方の生活から生まれた写真を拝見する喜び、その写真にコメントを
書いたり、意見を交換できる喜びを、また共にしていきたいと思います。

みな様にとって、よい一年でありますよう!
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by tamayam2 | 2012-12-31 20:17 | Comments(16)

【567】クリスマス・ツリー

1987年(昭和62年)、今から25年ほど前に、私は、ある学校の
日本語クラスで教えていました。
そのクラスには、成人の外国人学生が10人ばかりいたのですが、
台湾人、中国人、ネパール人がいました。
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台湾人のAさんと、中国人のBさんは、けっしてそばに座ろうともせず、互いに
打ちとけませんでした。台湾人と中国人の間には、政治的に複雑な背景があると
知ったのはそのころでした。同じ中国本土から来た、BさんとCさんもよそよそしく、
彼らは、北の天津と南の広州の出身で、言葉も考え方も相当違うということを
知り、一くくりに中国人と考えてはいけないのだと知りました。

また、ネパール人のDさんとEさんなら、お互いに協力し合って勉強するだろうと
考えましたが、彼らも端と端に分かれて座り、全く口もきかないのでした。
後から聞いて見ますと、カーストが違うので、一つのテーブルで食事をすることすら
できない身分だということでした。

こうして駆け出しの日本語教師は、日本語教育の背景にある複雑な国際事情を、
こういう体験を通して学ぶことになるのです。

今回の台湾訪問は、当時のクラスの中国人のBさん夫妻と台湾人Aさんを訪ねる旅で
ありました。お二人は、25年の間ずっと級友として友情を育ててきました。

中国人のBさんが本国が認めない台湾に旅行するのには、VISAが必要ですが、
VISAの取得費が安くなり、簡単になったので、やっと台湾訪問が可能になったと
言っておりました。

Aさん、Bさん、私の三人を繋いでいたのは、毎年のクリスマス・カードや年賀状という
ごくごく旧式の情報交換手段でしたが、ほそぼそと25年間続いていたとは、驚くべきことです。

私は年老い、当時若かった彼らは、50代です。それでも、
元気で楽しく語れるというのは何という幸いなことでしょう。
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今夜はクリスマス・イヴ。
どうか、みな様にとって聖なるよい晩でありますように。
台北の駅舎、台北車站に飾ってあった絢爛豪華なクリスマス・ツリーをお目に掛けます。
25年前の台湾人の学生たちは、みなが口をそろえて、
「日本のすばらしいものは、地下鉄と新幹線! 日本の交通は便利です。」

今は、台湾にも新幹線が通っており、台北から南の高雄まで96分で結んでいるということです。
また、台北市内には、最新式地下鉄が走っており、移動が便利になりました。
私の好きな市立台北動物園にも地下鉄で行くことができます。
さて、これは、動物園で見たヤツデの葉に似た小木です。
よ~く、ごらんください。
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葉についているものは、なんと、生きたチョウです。
オオゴマダラというチョウの中でも最も大きく、緩慢に飛ぶマダラチョウの仲間です。
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チョウは、じっとしていてほとんど動きません。
このヤツデの花のような白い花粉がよほど気に入っていると見えて、
葉脈は、白い粉のような花粉にまみれているのでした。

これは、まさしくチョウのクリスマス・ツリーですね。
Merry Christmas!

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by tamayam2 | 2012-12-24 09:12 | Comments(10)

【563】禅寺の収入源

下の写真の手前の丸い穴をごらんになってください。
漬物を漬ける甕のようにも見えますが、漬物小屋ではありません。
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先日、訪問した京都・東福寺の東司という建物なのですが、
禅宗の寺で東司(とうす)と言えば、お手洗いのことだそうです。
室町時代の重要文化財です。
用便をするに際しては、いろいろ作法があり、禅僧には修行の一つだったそうです。

私がとても興味をもったことは、この甕に溜まった下肥(しもごえ)を捨てることはせず、
農家に売り、それが寺の重要な収入源になったという点です。
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京野菜として有名な京菜、真っ赤な京ニンジン、聖護院ダイコン、千枚漬けのかぶら、
万願寺とうがらし・・・そういう野菜は、昔は、下肥を使って育てられたのですね。

閑話休題:もう20年ほど前のことですが、韓国人の若い女性から、
「とても聞きにくいことなのですが、ある種の薬を買いたいのですが・・・・
何と言って買えばよいか・・・?」と、相談を持ちかけられたことがあります。
その方の日本語が未熟なせいでどんな薬かよく理解できないので、いろいろと
質問しましたら、それは便秘薬でも、下剤でも、避妊薬でもなくて、虫下しだったのです。

彼女が言うには、韓国では、お母さんが、いつも虫下しを用意しておいてくれて、
生野菜を食べた後には、用心のために虫下しを常用しているということです。
韓国では、まだ下肥を使っていますから・・・と彼女は恥ずかしそうに言っていました。
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ドイツでも新鮮な生豚肉のミンチをパンに挟んで食べるMettwurstという食べ方が
あるのですが、「・・・うむむ、生の豚肉は、ちょっと・・・」と尻込みする私に、
「なぁに、虫下しを飲んでおけば大丈夫ですよ・・・」としきりに勧めてくれた
友人がおりましたっけ。

今、日本の薬局で虫下しが簡単に手に入るかどうかわかりませんが・・・日本では
スーパーで買ってきた野菜を食べている限り、回虫に苦しむということは無さそうです。
若い世代では、虫下し、回虫などという用語も理解不可能でしょうね。
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東福寺で下肥を業者に売って、それが寺の大事な収入源になったということを
知り、広い世界には、まだ下肥を使っている国、虫下しや検便が必要な国が存在する
のだなぁ~と、当たり前のことですが、思い至ったのです。

それと、日本で水に流してしまっている下肥はもしかしたら、すごい資源なのではないか、
という疑問。

海外に行って、生野菜のサラダや生牡蠣、刺身を出されても、調理人の腕をあまり過信なさらない
ほうがよいかと・・・老婆心までに。

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by tamayam2 | 2012-12-10 14:43 | 日々のできごと | Comments(16)

【559】京の道端で

京都の山道は、ゴロゴロ小石があったり、木の根っこが渦を巻いていたり、
お寺の石段はすり減り、庭園の飛び石は丸みを帯び・・・雨でも降れば、
滑りやすく足元がおぼつかない。
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これは、大原、三千院へ行く山道で見た行燈(あんどん)。
黄色の花は、Blog 友、nenemuさんのところで見たヤクシソウだろうか。
アキノノゲシか、ハナニガナか・・・。
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足元を照らしてくれるこんな小さな灯りが、観光客に対するホスピタリティなのだろう。
こちらは、嵯峨野の高山寺付近の山道で見た行燈。小学生の描いた画用紙を
丸めただけの素朴な行燈。この子の絵は、赤とんぼだ。
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鞍馬寺は、牛若丸が修行した寺として有名。こんな根っこが露出している道で跳躍の
練習をしたと伝えられる。
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午前中、山を下っていると杉の木立から朝もやが立ち、朝日が差し込んだ。
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岩にこびりつくように生えているのは、マメヅタ
マメヅタ【豆蔦 ウラボシ科 Lemmaphyllum microphyllum Presl】
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大原の三千院へ続く山道では、シバ漬けや千枚漬けなどの漬物を売る店が並んでいる。
千枚漬け用の大カブや赤カブが樽の上に積んであった。薄く切ったカブと昆布が
一体となって、けっこうな京のお漬物。
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晴れた日の午後、嵐山、渡月橋の辺りで一服した。
桂川に架かる渡月橋は、観光客のメッカ。若い人々がたくさん散策していた。
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山と川のつくり出す大きく開けた景観に、身も心も解放される思い!
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河原で遊ぶ水鳥たちを眺めていたら、日は瞬く間に沈み、嵐山の紅葉も
ぼんやり霞んで辺りが暗くなった。

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by tamayam2 | 2012-11-21 23:39 | たび | Comments(7)

【556】石見銀山にて

1271年、マルコポーロ(Malco Polo)がイタリアを発って東方旅行に出かけて以来、
中国の東にジパング(Zipangu)という国があって、金を産出している・・・と伝えられ、西洋の地図に日本の存在がちらほらと現れはじめました。
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それから、300年後の1595年、イエズス会の宣教師ルイス・ティセラの日本図には、
北海道を除く三島が描かれています。本州の西に、Hivami(石見 いわみ)の地名を
認めることができます。その上には、Minas de Plata(銀鉱山)という文字が見えます。
このころ、日本は、黄金の国ならぬ銀を産出する国として西洋で知られていたわけです。

1595年というのは、天下分け目の関ヶ原合戦の5年前、秀吉の統一(1590年)の
5年後ということになります。安土桃山時代の後半に当たります。
私は、2007年、石見銀山がユネスコの世界遺産に登録されたと聞いたときから、
いつか機会があれば、その地を訪れてみたいと思っていました。

島根県は、ご存じ出雲が有名で、たまたま11月には、神話博というイベントが行われて
いたそうです。石見銀山は、出雲からさらに西の大田(おおだ)市にあり、
交通の便があまりよくないのです。私は、温泉津(ゆのつ)町に宿をとりました。
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一時は、世界の銀の産出量の三分の一をここから世界へ向けて出していた港、
沖泊(おきどまり)港に近い町ですが、JR温泉津駅は無人駅で、10数軒ある温泉街
へは、徒歩で行けないほど離れたところにかたまっているのでした。
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古い道標。    みぎ   ふく原  大 もり(銀山のある地名)
          ひだり   〇じき  ゆのつ              と読める

翌朝タクシーで、銀山へ向かいました。

そして、更に山合いにある龍源寺間歩まで、貸し自転車で山道を登りました。
間歩(まぶ)というのは、坑道のことで、600を越える間歩跡が現在確認されて
いるようですが、ガイド無しに行けるのは、ここだけです。
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どんな人たちが銀を掘る危険な仕事に従事していたのか・・・その人たちの
疲れきった体、傷を負った体に、温泉がどんなにありがたいものであったか・・・
前日入った温泉の豊かさを思いながら感じたことです。
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江戸時代は、天領であった大森地区の町並みも歩いて回れる範囲にあります。
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自然を保護するために、その辺一帯は、住民以外の自動車の通行ができなくなって
います。現代の人たちが住んでおられる住宅の縁側には、鉢植え、一輪挿しなど、
旅人へのやさしい心遣いが感じられるものがいっぱい陳列してありました。
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石見銀山は、大正12年(1923年)に閉山するまで、約400年にわたり銀を産出
し続けていたということです。こういうことを、みな様、学校時代、歴史の授業
で習われましたか?
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地元では世界遺産に登録されてからというもの、いま流行りの「ゆるキャラ」を採用
したり、いろいろなイベントが企画されているようでしたが、銀山という地味な産業分野でもあり、また
地理的に都会から相当離れた場所であることから、普通の観光地のような人出は
期待できそうもないと思いました。
お祭り騒ぎが似つかわしくない場所なのです。
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なんとなく内向きで、自信をなくしかけている若い日本人に、400年も続いて
いた日本の銀山のことを、ぜひ知ってほしいなぁと思います。今は、金も銀も
出ないけれど、何かピカッ★~ と光るものを掘り当てて、世界の人たちに見せたい
じゃありませんか。

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by tamayam2 | 2012-11-11 21:31 | たび | Comments(8)