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【661】過去の旅・・・オランダ小旅行

昨日、引出しの中を整理していたら、64メガのSDカードが見つかった。
デジカメを使い出したころ、64メガでもわくわくしたものだ・・・(笑)

さて、そのSDカードの中に2007年に行ったオランダ小旅行の写真が入っていた。
過去のBlogに掲載したものもあったが、使わなかった写真もあったので、
7年後の2014年に、オランダ過去旅行の一部を再現しようと思います。
お時間があれば、お付き合いください。
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上の写真は駅のホームの壁です。運河に囲まれたライデンの街がよくわかります。

2007年6月当時私は、ドイツのオランダに近い西側にあるケルン住んでいた。
カトリックの祝日が木曜日に当たっていたと書いてあるから、金曜日に有給を取れば
4連休になる?! そこで、オランダ小旅行を思いついたようだ。一日目の宿泊地は
ライデン、二日目は、ロッテルダムに一泊した。二泊三日の旅。
一日目は、ケルン →アムステルダム →ライデン(泊まり)。
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アムステルダムまで特急で行き、そこからローカル線に乗り換える。

ライデン大学付属植物園に行くこと、その近くのできたばかりのシーボルト・ハウスを
観るのが目的だったので、宿は、シーボルト・ハウスの向かい、運河に面した小ホテル。
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たまたまこの年、リンネ生誕300年に当たり、渡欧された天皇がリンネ協会で、演説を
なさったのでした。Tamaya2の植物への傾倒もライデン植物園から始まりました。
        過去ログ:リンネ協会での天皇のご講演は、ここ
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        像の周りに植えられているのは、彼の命名した植物でしょう。
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      ライデン大学の日本学科は有名。 俳句が建物の壁に書いてあれば驚く。

二日目は、直接ロッテルダムに行けばよいのに、大いに寄り道をしている。
ライデン → ハーグ → デルフト → ゴーダ → ロッテルダム(泊まり)
たまたま来た普通列車がハーグ行きだったので、ハーグで途中下車。
フェルメールの有名な絵があるマウリッツハイス美術館は以前に訪れたことがあるので、パスして、
エッシャー美術館を訪問しました。
   過去ログ:ハーグで  エッシャー美術館を訪ねるは、ここ

(ここには、国際司法裁判所があり、雅子様のお父様が働いておられるのでしたよね・・・)
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オランダでは、ハーグとは呼ばず、Den Haag、デン ハーグと冠詞付き。
オランダの首都は、アムステルダムですが、政治の中心は、ハーグ。
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古いものもよく保存され、モダンな芸術の息吹がここそこに感じられる街でした。
駅前の時計がとってもおしゃれです。ただ今、10時11分。
エッシャー美術館は、森の中にあるのですが、エッシャ―好きなら、一日いても
楽しいでしょう。美術館前に停まっていたサンドイッチ屋の車もおしゃれ!

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駅の地図を見ていたら、デルフトがハーグからすぐということが分かったので、
急に思い立って、フェルメールの故郷、デルフトへ。駅の壁がデルフト焼き。
中国の明から染付技術を習ったとか。白地に青が美しい陶器が有名です。
     過去ログ:デルフトにて は、ここ
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各駅停車で、ちょっと足を伸ばせは、有名なゴーダチーズの故郷があるようなので、
そこもちょっと見ていくことにしました。
     過去ログ: ゴーダにて は、ここ
そんなわけで、二日目の宿泊地、ロッテルダムに着いたのは、夕やみがせまるころ
でした。でも、構いません。予約しているホテルは、いつも街の中心のわかりやすい
ところですから。

こんな、行き当たりばったりの旅は、旅行会社が何から何まできちんと用意してくれる
旅では味わえない面白さがありました。公共交通手段を使い、バスの回数券を使って
あちこち気の向くまま、足の向くまま移動しましたが、やはり、体力があったからできたこと
なのだなぁ~と我ながらあきれたり、感心したりしました。

by tamayam2 | 2014-01-18 17:52 | たび | Comments(14)

【659】中央区明石町

歳末に、買い物目的ではなく、人出を見に築地に行こう、と家人が
誘うので、断る理由もなく従った。
案の定、築地場外市場は、ひどい混みようだったので、裏手の
聖路加国際病院のほうへ歩いていった。
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聖路加(せいろか)と呼びならわしているが、聖ルカのことで、
新約聖書ルカ伝や使徒行伝の筆者で、医者と伝えられる。
だから、世界中にSt. Luke's Hospitalがある。
地番でいうと、中央区明石町10番地。
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この辺りは、明治の初期に、外国人の居留地区になっており、たくさんの
ミッショナリ―(キリスト教の伝道者)がこの地に住んでいた。
そこに建てられた学校は、俗にミッション・スクールと呼ばれ、今の
雙葉学園、明治学院、女子聖学院、女子学院、暁星学園、青山学院・・・等々
がこの地で誕生した。関西では、「八重の桜」の同志社が生まれたころであろうか。
私の母校(高校)もこの辺りが発祥の地と聞いていたので、一所懸命に探したら、
聖路加看護大学の敷地内の植え込みの中にあった。母校は、今年創立146年。
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そのすぐ近くには、慶応義塾大学の碑が。昭和33年に百周年を祝われたというと、
今年は、156周年か?! 
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近くの公園には、蘭学発祥を記念してシーボルトの像があった。
シーボルトは、1826年にオランダ商館長に随行して江戸に来ている。
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私は、2006年にオランダのライデンを訪ね、植物園の中のシーボルト庭園で
シーボルトの像を見た。日本の像は、胸に勲章をたくさんつけちゃって、えらそう!
フィリップ・フォン・シーボルト(1736-1886)
過去ログ:2006年10月 “シーボルトとあじさい”
史跡巡りの後は、佃大橋を渡り、隅田川の対岸、佃島(つくだじま)へ。
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中央大橋の左側にスカイツリーが見えた。
佃島は、佃煮(つくだに)の語源になった島。今でも小魚を捕る漁船が見える。
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若い人は、佃煮など好きじゃないかもしれないが・・・お正月のゴマメ、
小女子のクギ煮、昆布、アサリ、小エビの佃煮・・・白いご飯に佃煮があれば、
日本人はたいていうれしい。
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あちこち興味深く見て歩いていたら、日も傾き、先ほど渡った佃大橋の向こうに聖路加国際病院
だろうか、高いビルが見える。中央が渡り廊下で結ばれて、ツインタワーのよう。
あの102歳の日野原重明先生は、エレベータを使わないで階段を上り下りして、勤務なさると
と聞いている。しばらく歩いて、大江戸線月島駅から帰途についた。

by tamayam2 | 2014-01-04 12:05 | 日々のできごと | Comments(14)

【633】ようやく暑さがやわらいで

9月7日、連日猛威をふるっていた暑さもちょっとやわらぎ、今朝は、クーラーを
つけずに過ごせます。
ふぅ~、思えば長く続いた夏でした。
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こちらはご近所のしぼりのアサガオです。葉の形からみると、西洋アサガオでしょう。

8月に江戸東京博物館で開催された「花開く江戸の園芸」という展覧会があり出かけました。
江戸時代の三大人気の花卉は、朝顔、菊、花菖蒲で、より美しく、大輪の花を
咲かせようと、お金持ちは、金や労力を注ぎこんで、品種改良に夢中になったということです。
幕末に日本に来た西洋人は、庶民の園芸熱のさかんなことに目を見張りました。
鎖国していたからこそ庶民文化はこのように円熟したのでしょう。
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こちらは、モミジ葉の琉球アサガオです。
この夏は、アサガオを植えるお宅より、ゴーヤで緑のカーテンを作るお宅のほうが
多かったです。花より、涼でしたね。(^_^;)
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この夏に見た水辺の花々。
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睡蓮のある水辺、ウォーターポピーの咲く池・・・水温が高くなりすぎないかと
水中の魚を気遣う夏でした。
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こちらは、通称ユキボウズという水草。太平洋諸島が原産だそうです。
キリンガ・ネモラリス【カヤツリグサ科 Kyllinga nemoralis】
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こちらも同じくカヤツリグサ科のパピルス。古代の紙の原料ですね。
英語paper、 仏語 papier の語源で、聖書(Bible)もパピルスから来ているそうです。
聖書、出エジプト記2章3節には、ヘブライ人(ユダヤ人)の男子の赤ん坊は、一人残らず川に流せとのファラオの命
が下り、モーゼはパピルスで編んだ籠に入れられてナイル河に流されたという記述があります。
幸い、モーゼはファラオの王女によって拾われ、命を救われるのです。
時代的背景は、紀元前13Cころの話です。
(うぁ! そんな昔からパピルスはエジプトに生えていたのです。)

下の絵に描かれている籠、河に生えている水草がパピルスです。
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今、戦乱の中にあるエジプトで、ナイル河のパピルスは、健全でしょうか。

by tamayam2 | 2013-09-07 10:39 | 日々のできごと | Comments(8)

【625】映画「終戦のエンペラー」

来週には、8月15日、68年目の敗戦記念日がやってくる。
昨日、「終戦のエンペラー」という映画を観た。
公式HPはこちら
マッカーサー元帥、この話の主役、フェラーズ准将は、米国人の俳優で、英語の場面が多い
ハリウッド製映画だが、出演者の多くは、日本人である。
どの役もぴったりのはまり役で好演している。
原作者は、岡本嗣郎。『陛下をお救いなさいまし・・・河井 道とボナ・フェラーズ』
という本が基になっている。
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上の写真は、映画の一場面。
日本人なら、だれでも、1945年9月に撮られた似たような写真を見たことがあるだろう。
長身のマッカーサーがラフな格好で腰に手を当てて立っているその傍らに、昭和天皇が正装で
お立ちになっていらっしゃる写真のこと。

この写真がどんな状況で撮られたのか、
戦争を始めたのは誰か、終わらせたのは誰か、
戦後どうして天皇陛下は処刑されなかったのか、
玉音放送はどんな状況で録音されたのか、
マッカーサーは、どうして日本の再建をめざしたのか・・・
時期的によい時に公開された。あまり昭和史にくわしくない私にも、よく理解
でき、印象が深い映画だった。
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さて、こちらは、尾瀬で見たツルアジサイ。高い梢のほうに花が咲いている。
木道で立ち止まって撮ったときには、この蔓の先があまりに高いので、足許が
ふらつきそうになった。
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こちらは、ツルアジサイによく似て他の木に絡み付いて伸びるイワガラミ
木だけでなく、文字通り岩にも絡み付いている。
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こちらは、北海道で見たツタウルシ。秋にあるとまっ先に紅葉して美しいが、
かぶれるとえらいことになる。
この三つはなかなか区別がつかなかったが、今夏、やっと区別がつくようになった。
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こちらは、葉の先が白くなるマタタビ(猫の好物ですね)
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岩の周りにつつましく生えていたゴゼンタチバナ。7月の尾瀬では、最も
よく目についた植物。
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赤い実がつやつやと光っていたツルコケモモ(?)
友人が食べてみて何ともなかったので、毒ではなさそう・・・

by tamayam2 | 2013-08-09 15:33 | 日々のできごと | Comments(10)

【614】映画「二十四の瞳」の舞台

6月の第一週末に、香川県小豆島へ行った。

小豆島と言えば、私の世代では、ああ、あの「二十四の瞳」の・・・と来る。
しかし、若い世代は、え~? にじゅうよんの? あずき島?
いいえ、にじゅうの瞳 の しょうど島です。
高峰秀子という女優さんがいて・・・説明したいが、わかってもらえないだろうナ。
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映画に出ている高峰秀子、笠智衆…木下恵介監督、原作者の壺井栄…みな故人となった。
この映画ができたのは、昭和29年(1954年)。約60年前になる。
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小豆島は、今の人には、オリーブの木が茂る南国風の島というイメージなのだ。
ちょうどオリーブの花の開花時期で、島中どこでも香しい花が咲いていた。写真上。
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小豆島の東のはずれ苗羽(のうま)から出た半島の先っぽに映画の舞台となった
岬の分教場がある。今は、「二十四の瞳映画村」として観光スポットの一つ。
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本物の分教場は、そこから10分ほど海岸沿いに歩いたところに保存されており、
当時(昭和3年~46年ごろ)の教室の様子を見ることができる。映画もこの分教場
で撮影された。小学校の1年生から4年生までは、この分教場で学び、5年生からは
島の中心部にある本校へ移る。
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主人公の大石先生(高峰秀子)は、この分教場の新任教師として赴任してくる。
そこで、12名の尋常小学校一年生の担任となる。12名だから、
24のキラキラした瞳が女(おなご)先生の一挙一動に注がれる。
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新任教師は、生徒とのやりとりの中で、この島の貧しさ、生徒たちの置かれている家庭
環境、刻々と迫りくる軍国主義の圧力・・・を感じとっていく。
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写真上  あふち【楝 センダン科】の花

改めてこの映画を観た。背景に流れる懐かしい童謡や学校唱歌の数々が懐かしい。
七つの子、仰げば尊し、ふるさと、朧月夜・・・
茶っきり節、金毘羅舟々などの民謡もあった。

日本人なら、子供のころどこかで歌ったそういう歌の数々。それが、今では
初等教育で教えないのだそうだ。
言葉が難しいから・・・と言って。(嗚呼)
その代わりに教えるのは、NHKの幼児番組の歌やCMソング。
そうなると、その番組をみていないおばあちゃん世代は、子供と一緒に歌えなくなる。
残念なことですね。
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写真上 小豆島には、醤油工場が多い。昔は、塩田をつくっていた。

私は、今、高齢者の友人と小さい竪琴のような楽器(Leier)を習っている。
その方が老人介護施設で、その楽器で童謡を弾くと、みなが回りに集まってきて自然に
歌が口から流れ出るそうだ。若い介護の人たちも手を休めて、
♪~菜の花畑に入り日薄れ・・・
そういう国民だれでも、どの世代でも知っている歌を、大事にしていかなくちゃと
思う。たしかに言葉は少々難しいけど、少し、現代風に書き直したりして、継承
したらいいと思う。

♪~卯の花の匂う垣根に、ホトトギス早やも来、鳴きて、忍び音もらす、
  夏は来ぬ   
「これって、さっぱり意味わかんない」と若い方から言われたことがある。(嗚呼)

「6月ごろの山の道を歩いていると、どこからともなく、ホトトギスの低い、押し殺した
ようなグルグルという鳴き声が聞こえてきて、農家の垣根からウツギの白い花の香りが漂ってくる。
ああ、もう夏が近いのだなぁ~という感じ」・・・ですよ。

こういう日本人の共通にもつ感覚を、国語の先生がた、生徒たちにぜひ教えてあげて
ください。

by tamayam2 | 2013-06-26 10:10 | たび | Comments(11)

【613】お墓事情

ケルン(Köln)に住んでいたころ(2004~2007)、
どちらにお住まいで?と聞かれたら、
Melaten墓地の近くと答えていた。
そう言えば誰でも知っているケルン市の市民墓地。
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嘘か本当か知らないが、Melatenとはフランス語でmaladie(病気)と
言う意味で、16C~18Cにヨーロッパを襲った黒死病(ペスト)のころ、
市を取りまく城門を開け、城外であるこの地へ遺体を捨てたという。
病気というのは、ペストのことだったらしい。

牧師も棺桶も墓堀り人もいなくなって、庶民は埋葬もできず、ここに
親族の遺体を運ぶしかなかったという。
モーツアルトの生涯を語った映画「アマデウス」でも、大雨の中、
モーツアルトの遺骸を載せた台車を遺族が城門のところで見送る
シーンが出てくる。
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上は、昔の城門跡がまだ残っているケルンの繁華街Rudorfplatz
墓地は、ここから市電で3駅のところにある。
Melaten墓地は、市民で教会税を払っている人なら5、60年間借りる
ことができる。土葬が主だが、最近では衛生的見地から火葬が
奨励されているという。しかし、火葬場が足りないので、火葬まで
10日以上待つことも普通だそうだ。
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立派な彫刻をほどこした古典的な墓もある。
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こちらは、一見草花の植え込みのように見えるが、新しいスタイルの集団墓地
である。大理石に個人の名が記してある。よく見なければ、墓石と見えない。
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こちらは、樹木葬のように、一本の木を中心に放射状に遺灰が埋められる。
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生木ではなく、石の塔や、横に配列した墓石群もあった。

人は、どんなに高貴な人でも死ねば、土に還り、辺りの植物の
肥やしとなる。当たり前のことだが、なかなか合理的に処理
しにくい問題である。

私の友人の墓がどんなスタイルになるのか、知らない。
後日、ケルンを再訪するときには、ご遺族に場所をうかがって
墓前に花を手向けようと思う。

日本と同様に、敗戦国であったドイツ、ケルン市は、大聖堂を除いて
全て空襲で焼かれ、瓦礫の原になった。ケルン市長であり、戦後、
連邦政府の初の首相になったアデナウワー氏は、市の再建に当たり、
町を取りまくように緑のベルトを二重、三重に巡らすことを最優先
課題とした。
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市民が憩える安全な森が歩いていける範囲にある都市というのは、
非常にありがたかった。
私は、森からたくさんのことを教えてもらったと思う。

by tamayam2 | 2013-06-21 20:05 | たび | Comments(12)

【606】黒船が来た町、下田

安政元年(1854年)、鎖国中の日本は、外国の出来事とは無関係に、
安穏な生活を楽しんでいた。そこに、突如現れた黒船
敵は、開港を迫り、日米和親条約を締結を突き付けてきた。
その舞台となった下田の町並みは、至極のんびりしていて、ぶらぶら歩きで
街中をすっかり見て歩けるほど小ぢんまりした町だった。
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ペリー提督が歩いたと言われる川べりの小道は、ペリー・ロードと呼ばれている。
私は、子供のころ、「ぺルリ」と習ったような気がするが、Perryさんですね。
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・・・泰平の 眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で 夜も眠れず・・・
 こういう狂歌も学校で習った覚えがあります。大きな船を1杯、2杯と数えたと
 いうのは分かりますが、上喜撰とは何か?
酒の銘柄ではなくて、上等な緑茶の銘柄ですって。

なるほど、静岡県ですからね。上等なお茶を4杯も飲んだら、眠れなくなりますが、
黒船が四杯も押し寄せて来たら、怖くて怖くて下田の町民は震え上がったことでしょう。

今この辺りを歩くと、とてもよい匂いがします。甘い香りにむせそうになるほどです。
香りの主は、ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)、地元の人は、アメリカジャスミンと呼びならわしているようでしたが、ジャスミンとは科が異なり、これは、ナス科の植物。
了仙寺という歴史的に重要なお寺の境内は、この花でいっぱいでした。
はじめ紫でだんだん白くなっていくそうです。

下田の名物は、この花の背景に写っているナマコ壁の土塀。瓦板を白の漆喰で縁取ったものですが、情緒ある景観をつくっています。
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ペリー・ロードは、昔の花街なのでしょう、ちょっと風俗っぽい香りがします。
今は、すっかり若者向けのギフトショップ等にリメイクされています。
唐人お吉さんもこの辺りを歩いたのでしょう。
お吉のお墓のある宝福寺の境内で二匹の眠り猫に会いました。
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この椅子の下、川べりに咲いている野草は、ディジーの野生種。
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ローン・ディジーと呼ばれている西洋産のヒナギクです。なぜこんなところにあるのか、
謎です。
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海に近い場所で、よく見かけたトベラ。本当は、とびら(扉)がなまった名前だそうです。
魔除けに、この木の葉を扉に差したから・・・とのことです。学名にしっかり日本語名が
ついており、学名watcherのTamayamはうれしかったです。
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この花は、今がシーズンらしく、白や薄黄色のものが真っ盛りでした。
こちらは、ニオイバンマツリと逆に、白からクリーム色、黄色に変化するようです。
この花に惹かれていろいろ写真を撮ったのですが、土地の方はだれもこの木の名前を
知らないのでした。
私は、おおよそトベラの仲間かなぁ~と見当をつけたのですが、土地で何と呼ぶ
のか、知りたかったのですが・・・意外に近くに在りあふれているものには、
皆さん関心がないものなのですね。(笑)

上から2枚目のオレンジ色の花も町中でよく見かけた花です。
花アロエというユリ科の植物ですが、原産国は、南アフリカだそうです。
アロエと無関係のユリ科の植物です。学名に忠実なブルビネという園芸名は
覚えにくいので、俗称が一人歩きしてしまったのでしょう。
南アフリカの花がなぜ、下田に??
そんなことをぼんやり考えていると、いくらでも時間がたってしまい、退屈しません。

by tamayam2 | 2013-05-17 18:01 | たび | Comments(10)

【604】大正年間にできた学校、二つの校舎

先日、さいかち坂を歩いたとき、御茶ノ水・駿河台近辺をぶらぶらした。
あちこちに、明治大学、日本大学の校舎が点在していて、そこ、ここで
朗らかな笑い声が弾けている。若々しい町だ。
でも、私ども年配者にとっても、懐かしい学校がありましたよ。
どちらも大正年間にできた専門学校です。
私はそのどちらにも通ったことはないのですが、何だか夢多き若き日の
ことを思い出して、ジーンとしてしまいました。
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①文化学院
なんと、今年で創立92年!(1921年、大正11年創立)
創立者は、西村伊作という方ですが、与謝野鉄幹、晶子夫妻が学校設立に関わり、
自ら教壇にも立ったのです。この学校の教師陣は、昔も今も、その道の一流の方が
綺羅星のごとく輝いているのです。文芸、演劇、美術などの分野の人材を養成する
専門学校です。
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入り口は、英国コテージ風、アーチ型の入口は、洞窟の穴の
ようです。私が若いときに知っていた文化学院にもアーチ型の入口でしたが、その
建築は今はなくて、2008年に再建されたそうです。この建物は、驚くべきことに
14階建ての校舎が背後に控えていて、日本BS放送と建物を共有しているのだそう
ですが、外観から見るとのどかなコテージ風なのです。
遠藤 誠という1968年生の若い建築家の作品です。

②アテネ・フランセ
“ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し・・・”(萩原朔太郎詩)

私が学生のころ、フランスへ留学する人は、たいていこの学校に通って、
学校フランス語を鍛え直したのではないでしょうか。ドイツ語なら、ゲーテ・インスティテュト、
英国留学ならブリティシュ・カウンセル・・・
私はそういう先進国へ留学しなかったものですから、こういう学校に通う同窓生を
まぶしい思いで眺めていたものです。
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創立は、1913年(大正2年)フランス政府の文化広報活動の拠点です。
上の建物は本館ですが、中央屋根の辺りに人の横顔のマークが見えます。これが
学校のマークなのですね。
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更に、ピンクの壁をよく見てみますと、レリーフのような模様が規則的に並んでいます。
アルファベットのようでもあり、Atheneeという文字をかろうじて読むことができます。
う~む、洒落ているなぁ、と感心して見ました。
この建物は1967年、吉阪隆正という有名な建築家の作品だそうです。
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もっと感心したのは、本館に続く建物の壁です。基本的には、鏡のように輝くメタルで
できているのですが、表面が波打っているものですから、道を隔てた前の街路樹や、
建物が非常におもしろい形を形成するのです。しかも見る人の立ち位置によって、
その模様がどんどん変形するのです。まるで万華鏡のような面白さです。

言葉で説明するのはとても難しいですから、御茶ノ水方面に行かれたら、ちょっと
その模様が変形する壁をごらんになってください。
東京・御茶ノ水なら、ふらんすより、近いですよ。地図はここ
by tamayam2 | 2013-05-11 19:15 | 日々のできごと | Comments(6)

【603】東京の坂道

4日、マロニエの花咲く銀座について書いた。

その日、東京方面に向かっていたとき、電車の窓から線路沿いに赤い花が
咲いている道が長く続いているのが見えた。総武線、水道橋から
御茶ノ水にかけての道。やはり、これは確かめてみねば、と思い立ち、
6日、お茶の水で下車し、水道橋まで歩いてみた。
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その道は、緩やかなスロープになっており、人通りがほとんどない。なのに、
みごとなベニバナトチノキの並木が続いていた。フランス語ではマロニエ
ドイツ語ではカスタニエ。ドイツではこの花が咲き始めると、それが合図のように
人々はこの木の下にテーブルをひろげ、ビールを飲み始めるのだった。
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さて、この坂は、こんな名前。皆さま、この漢字が読めるかしら?
へ~、こんな漢字あったんだ! 

あるのですよ、これが。
これは、サイカチと読みます。
して、サイカチをご存じではない?
そうでしょうね。私にとって、この木は、ドイツで初めて知った
思い入れがある木でした・・・。しかも、日本原産!?

サイカチ【皁莢 皂角 マメ科ジャケツイバラ属 Gleditsia japonica】
道標によれば、坂の上に3本のサイカチの木がある、ということでした。
さっそく、線路沿いの木を調べてみました。
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植え込みの間に確かにありましたが、目立たない所で、標識も無く、
これではだれも気付かないでしょう。
サイカチの実は、長い莢に入った豆なのですが、昔は、シャンプー代わりに
使われていたということです。サボニンがたくさん含まれているのです。
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サイカチの一番の特徴は、トゲというか、鋭い針がいっぱいついていて、
とても動物が近づくわけにはいかないのです。しかし、昆虫はこの樹液が
大好きなようです。
葉は、マメ科ですから、アカシアなどと同様に羽状複葉の涼しげな葉です。
これから、東京の定点観測の木にします。
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その道の傍らで見た、唐種招霊の花。神社などで見る木ですね。中国語で、含笑花ですって。感じが出ていますね。
カラタネオガダマ【唐種招霊 モクレン科 Michelia figo】
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こちらは、水道橋駅前の東洋高校の傍らで見た、白花のトチノ木の葉。
静かな坂道を下りながら、たくさんの珍しい樹木を見ることが
できました。楽しみな散歩道になりそうです。

by tamayam2 | 2013-05-07 16:30 | 日々のできごと | Comments(16)

【600】Blog開設600回 げんげそうの歌に寄せて

ちょうど1年前の5月5日に、500回目でした。1年で約100回更新した
ことになります。初めてExcite Blogを開設したのが2007年 8月2日。
6年経って、600回ですから、やはり年平均100篇の写真つき短文を書いた
ことになります。今日は、ちょっと回顧的なお話をさせてください。
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♪・・・ねんねのお里のげんげ草
      ぽちぽち仔牛も遊んでる。
        牧場の牧場のげんげ草
          誰だか遠くで呼んでゐる。

この歌は、北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡で、昭和6年ごろの日本童謡曲集に
収録されている童謡です。あまり知られているとは言いがたいこの歌について
以前、Blogで知り合った方がこの歌の思い出を書いておられ、飛び上がるほど
驚いたことがありました。私にとって、どこか幻想のようなこの歌を、
現実に知っておられる方がいたという事実に驚いたのです。
消えがてのうた part2 

なつかしい、なつかしい歌です。
私の幻想では、この「ねんねのお里」は、幼児のころ一時期疎開していた
奈良県・富雄という場所につながるのです。
戦後まもない昭和21年、22年(1946~47年ごろ)のころです。
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近くに小川が流れており、家の横の畑には一面にレンゲが咲いていました。
仔牛がいたかどうか、記憶にないのですが、近くにレンズ工場があって・・・
レンゲ、タンポポ、スミレがいっぱいのこの原っぱが私の遊び場だったのでしょう。
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当時母がよく歌ってくれたこの歌のイメージと、おぼろげな幼少時の記憶がいっしょになって、この場所が私の頭の中で「ねんねのお里」、あるいは、
「げんげのお里」として定着したらしいのです。
2番以下はこのように続きます。

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♪~ねんねのお里はよい田舎
   ぽつぽつお汽車で下りたなら。
    道はひとすじ田圃道
     藁屋に緋桃も咲いてます。
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♪~ねんねのお守はゐやせぬか
   ちよろちよろ小川もながれてる。
     いつだか見たよな橋もある
      小藪のかげには閻魔堂。
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♪~ねんねのお里で泣かされて
   お背戸に出て見たげんげ草。
      あのあの紅いげんげ草
         誰だか遠くで呼んでゐる。

曲は ここ⇒ 聞くことができます。

家の横を流れていた小川、近くにあった、御堂。
閻魔堂であったかどうか・・・ほの暗い場所に御堂があり、薄暗い竹林があり、
子供心に怖かった思い出があります。
遠くから聞こえる人の呼び声、牛の鳴き声・・・
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最後のフレーズ、♪~あの、あの紅いげんげ草・・・母の繰り返し歌っていた
声が聞こえてくるようです。

当時は、妹もまだ生まれていなかったので、この風景を記憶しているのは、今や
私だけになりました。いくら、小川にかかる橋の角にあったこの家の話をしても
老女の繰り言にしか見えないので、黙っておりましたが、白秋の描いた風景が
あまりにも私の記憶にある、あの場所にそっくりなので、驚いてしまうのです。
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おそらく、昭和初期に、日本中のどの場所にでもあった一風景なのでしょう。
きっと、みな様の記憶の中にもそういう原風景というような、大事に
心にしまっておきたい場所があるに違いありません。

最近、げんげ草(れんげ草)を見ていないので、写真がありません。
赤城自然園で見たスミレの数々を載せました。

by tamayam2 | 2013-05-02 14:07 | 日々のできごと | Comments(12)