タグ:歴史 ( 82 ) タグの人気記事

【719】五島列島・キリシタンの教会を訪ねて

3月6日~10日まで、上智大学主催の「長崎・五島列島キリシタンの
足跡を訪ねる旅行」に参加した。卒業生、在校生、カトリックの神父様など
総勢70名の団体旅行だった。
c0128628_1043998.jpg

長崎から100キロも離れた五島列島には、ジェット・フォイルという
高速ボートで1時間半。
江戸時代には、流刑地でもあった。さもありなむ・・・。

南の島は、福江島と言って、五島市になっている。
最北の島は、中通島で、そこは、上五島町
市と町の違いがあるばかりか、江戸時代には、南は大村藩、
北は、鍋島藩であり、それぞれの大名はキリシタンへ対応が微妙に異なって
いた。キリシタンの締め付けが厳しくなってから、隠れキリシタンの人々は、
北の過疎地の奥地へ、どんどん逃げ込んでいった。

10以上の教会を巡って印象がバラバラになりがちなのだが、北の上五島地区
(最も過疎地)が一番心に残った。
これらの教会群は、いま世界遺産の候補になっている。
c0128628_1013767.jpg

明治6年禁教が解禁になってからの教会群は、レンガ造りの重厚な建物もあるし、
木造の建物もある。
上五島・頭ヶ島(かしらがじま)教会は、珍しく石造りの建物であった。
c0128628_1072844.jpg

教会の外部は撮影ができるのだが、内部の撮影は、原則的に禁止されている。
下の写真は、HPより。花をモチーフにした木造のレリーフが美しい教会だった。
c0128628_108979.jpg

祭壇は、撮影禁止なのはわかるが、素朴なステンドグラスの光を撮影したい
と思っていた私は、がっかりした。
c0128628_1093295.jpg

こちらのステンドグラスは、最も北はずれの江袋教会で撮影した。
(室内では撮影できないので、外で撮った。)
この教会は、火災に遭って再建されたので、木造である。

ほとんどの教会は、土足厳禁で、入口で靴を脱ぐ。
トイレは、別棟になっており、どの教会も世界遺産候補を意識してからか、
過疎地にもかかわらずよく整備されていた。
c0128628_10101315.jpg

頭ヶ島教会は、本島から離れた小島にあるのだが、橋で繫がっている。
岬のはずれに教会の共同墓地が広がっていた。前の島は、轆轤(ろくろ)島。
信者の墓地がどこまでも続く。十字架が林立する様は過酷な迫害を避けて
この地に住みついたキリシタンたちの過酷な生涯を封印しているように見えた。
c0128628_10105726.jpg

教会の内部は、おおかたリブ・ヴォールト様式というのだろうか、
曲線の梁で大きな天井が支えられている。
ガイドさんの言葉でいうと、“コウモリ天井”
うむ、たしかに、コウモリ傘の骨組みのようである。

たいていは、鉄川与助(1879~1976)の設計が基になっている。
信者たちがなけなしの金を貯めて、何年もかけて建設された。
c0128628_1012733.jpg

五島列島のいたるところでよく目にしたのは、野性のヤブツバキ
椿油、ツバキ飴・・・は、アゴ(トビウオ)の煮干しとともに、島の産物
になっている。
われわれは、ツバキの花が咲けば美しいなぁと思うが、島の主婦らは、
「今年もようけ実がなったら、小遣いが増えるなぁ~」と思うそうである。

ガイドさんは、昼食の食卓に載ったマグロの刺身を見て、
「東京のみなさんは、マグロがお好きですね。
ボクは、マグロは食べまっしぇん。だって、近くの海で捕れる新鮮な小魚が
あるでっしょ? それば、食べよると、うまかですタイ!」と。
本当に島は、農業こそパッとしないようだが、海の幸は実に豊かなところなのだった。
この海の幸によって、隠れキリシタンたちの命が長らえることが
できたのだろうと感じた。

[PR]
by tamayam2 | 2015-03-20 10:14 | たび | Comments(6)

【716】シアトルに叔母を訪ねる

シアトルに住む叔母は、私の父の妹で、大正10年生まれ、
先月94歳になった。
90歳のとき、息子二人が住むシアトルに引っ越してきた。
それまでは、ミシガン州デトロイトに一人で住んでいた。
過去ログ:2011年2月  90歳の誕生日祝い
c0128628_181353.jpg

体も頭のしっかりしており、週に一度、赤十字の老人センターに出向き、
そこで、裁縫や編み物の奉仕をしている。
例えば、5歳ぐらいの子供のエプロンを同じ型のものを何十枚も作るとか、
子供がお昼寝をするときのマットのカヴァーを作るとか、
作品は、センターの要望に応じて変わる。
流れ作業で、ミシンが使える人は、ミシンだけ、アイロンの人は、アイロン
だけ、ボタン付けの人は、それだけというようになっているらしい。
叔母は、ミシン専門で、今でも普通のミシン、工業用のミシンを所有して
いる。その他にも編み物も担当している。

日本女性は、たいてい家庭科でミシンの扱い方を習っているけれども、
米国人は、ミシンなど家庭で持っている人は皆無。
扱える人は、ほとんどいない。(今は日本でも同じような事情かなぁ~)
その他に、日曜日に近くの教会にも行っている。
c0128628_182343.jpg

私は、2014 年4月にも、ワシントンDCに行く途次、シアトルに立ち寄った。
今回は、西海岸ロサンジェルスから北上して、シアトルに行く。
飛行機で3時間足らず。
c0128628_181930.jpg

SeaTac空港(シアトル-タコマ空港)に着く前に飛行機の窓から
きれいな山々が見えた。レイニア山の一部だと思うが・・・
カナダとの国境の辺りには3000m級の火山がたくさんそびえている。
c0128628_1821192.jpg

今回は、LAに住む従弟の洋子ちゃんを誘って出掛けた。
洋子ちゃんは、叔母の長女で、私と同い年。
叔母さんの古いアルバムを見ながら、昔の写真を見つけては
懐かしい人々の思い出話に華がさいた。
その一枚。1950年ごろ、5, 6歳ぐらいの私と洋子。
c0128628_183890.jpg

前列: 左から、洋子、私の妹、私
後列: 左は、母(33、4歳ぐらい)と 洋子ちゃんの養母 綾子
叔母さんの家の庭に、クロカッスが咲いていた。
前の家の前庭には、早くもサクラが咲いていた。
c0128628_1833247.jpg

叔母は、NHK Worldを観ており、ラジオ体操、相撲、ニュース
など日本語放送を楽しんでいる。
われわれもいっしょになって、『初めてのおつかい 25周年』という
2時間番組を観た。
本当に、Pricelessな(値がつけれらない)、ひとときだった。
c0128628_1835774.jpg

叔母は、私とは日本語で、息子たちや洋子ちゃんとは英語で話す。
彼女は、日本では奈良女子大、アメリカでは、UCLAの卒業生だ。
よく学び、学んだことがすべて役に立っている・・・
教育の力が、一人の女性にドラマティックな人生を与えたと思う。

[PR]
by tamayam2 | 2015-02-27 18:04 | たび | Comments(9)

【711】バンクス花譜展

世界史の中で私が一番心躍るのは、大航海時代。

1768年、ジェームス・クックが率いる帆船、エンデヴァ―号が
イギリスの港から大航海に乗り出した。その航海の目的は、天文学に
関するものであったが、乗組員の中に植物学者ジョセフ・バンクス
(1743-1820)が含まれていた。彼は、寄港地ソサエティ島、ニュージランド島、
オーストラリア、シドニー湾付近、ジャワ島でたくさんの植物を採集し、
絵師に精密に記録させた。それらを植物学者バンクスの名にちなんで、
「バンクス画譜」という。
展覧会主催者のBunkamura ザ・ミュージアムが所蔵しているものと
主に、オーストラリア国立海事博物館所蔵の絵が公開されている。
HPはここ
c0128628_1137226.jpg

オセアニア地方の植物には、独特なものが多いが、そういう植物に
関心のある方、また、広く植物精密画に関心がある方には、
とても見応えのある展覧会である。

バンクスという名を聞いて、私はすぐバンクシア(Banksia)という植物を
思い出した。何を隠そう、このバンクス氏が命名者だ。
c0128628_11375087.jpg

なんだか針金のように硬い花びらで、花の形はタワシのようだ。
このポスターの下に描かれている種は、めったに飛ばすことが
少ないが、一旦、山火事になると(殻は燃えにくく)、火に反応して盛大に
種を弾き飛ばす性質があるという。何年かに一度起こる山火事の跡地に
この種は真っ先に芽吹き、子孫へ命を繋ぐと言われている。
c0128628_1138204.jpg

昨年2月に訪れた中米・グアテマラでは、高木に成長したバンクシアの樹を
よく見かけた。
バンクシアはヤマモガシ科に属し、これらの植物は、ほとんどオセアニア、
中南米など南半球でよく見られる。日本では植物園のオセアニアの植物の
コーナーで見ることができるが、余り生育がよいとは言えず、少し残念に思う。
c0128628_11385575.jpg

この精密画を描いた絵師たちは、ジャワでマラリアにかかり、多くの人が
ジャワから喜望峰に至る航海途上で落命したということである。
飛行機もカメラも無かった時代の話である。
植物精密画は、カメラよりも正確にその植物の姿を生き生きと再現している。

[PR]
by tamayam2 | 2015-01-24 11:38 | 日々のできごと | Comments(14)

【702】コンスタンツというところ(2)

コンスタンツ(Konstanz)
は、ドイツ人にとっては、ボーデン湖という国内最大の湖の
ほとりにある高級保養地というイメージだ。
ドイツ語では、湖もSee(海)というが、ほんとうに大きい湖で、ドイツ、
オーストリア、スイスに接している。

船を使うと、国境をまたぐことがいとも簡単にできる。
そして、ドイツ人が愛してやまないライン川の源流がここにある。
スイスアルプスから流れ出た水がボーデン湖に注ぎ、ラインの流れとなり、
ドイツの西の町々を通り、オランダのロッテルダムで、北海に注ぐ。
ドイツ観光でおなじみの、ライン下りは、じつはマインツ、コブレンツ、ボン、
ケルン、ヂュッセルドルフを経て、オランダまで行くのですが、多くの方は、
そのごく一部しか乗船なさらないでしょう。
c0128628_1935729.jpg

この流域は、2月ごろカーニヴァルが盛んで、コンスタンツでは、
全身木の葉をまとった“なまはげ”のような怪物が町をパレードする。

私のユーレイル・パスは4か国有効だったので、コンスタンツの宿を、
駅前のドイツ側ではなく、12,3分ほど歩いたスイス側のクロイツリンゲン(Kreuzlingen)という
街にした。ドイツ側の通貨は、ユーロ、スイス側は、スイス・フランである。

実は、この選択がなんとなくややこしく、困難の多い旅となった。
後で振り返って見れば、個人的にはとても面白い経験をしたのだが・・・。

どちらもドイツ語圏ではあるが、物事の処理の仕方に、ドイツ、スイス、それぞれの
お国がらが表われていて、おかしかった。
一例を挙げれば、鉄道で、ドイツ側のコンスタンツ中央駅に着いて、構内にある
観光案内所で、ホテルの行き方を聞いたのだが、なんだか要領を得ない。
説明に、「Zoll (税関)を通って・・・」というのが出てきたので、通行税を払う
必要があるのかと聞くと、その人もよく知らないらしい。市街地図をくれたが、
スイス側は、印刷が薄くて通りの名が書いてない。つまり、町の半分は、白地図の
ような地図なのです。

徒歩12,3分のホテルまでタクシーに乗るのはシャクだけれども、地図がないし、
荷物もあったので、タクシーでホテルまで行った。
ホテルのフロントの人に、町の地図をお願いすると、ホテルはスイス側なので、
さっきと逆で、ドイツ側の部分の印刷が薄くなっており、半分が白地図のような地図を
くれた。ホテルの人に聞いても、「あちらはドイツ側なので・・・」と口をにごす。
ふふふ・・・自国のこと以外は説明したくないのだなぁ~
c0128628_1937371.jpg

仕方がないので、ホテルに荷物を置くと、町の様子を調べるために徒歩で国境まで
行ってみることにした。
Zoll(税関)には、やはりしっかり検問小屋が立っていて、検問官もいた。
車は何か質問されるようだったが、徒歩の人は、普通の道と同じように
通り抜けられるのだった。
なぁんだ!

ドイツ側:立て看板の上にDと書いてあるのは、ドイツを表しています。
市街地は制限時速50km/h、市街地以外は100 km/h、アウトバーンは130 km/h
c0128628_19373089.jpg

スイス側は、Schweiz(スイス)で、自動車と二輪車は通行止め。
バスは、真ん中の赤白の棒が上下に動いて、通行できるようになっていました。
(こういう国境では、写真撮影が禁止されていることが多いので、
 私は、コンデジで素早く撮影しました。)
c0128628_1939136.jpg

人に聞き聞き、ドイツ側の中央駅に来てみると、街路樹に赤い実がたくさんなって
いました。翌日出かけるマイナウ島行のバス停を確認したり切符を買ったりしました。
c0128628_19392571.jpg

旧市街には、歴史を感じさせる素敵な建物がいっぱい。
この建物の壁面のフレスコ画には、歴史的なお話が描かれているのでしょう。
c0128628_1940970.jpg

上のような絵文字の看板を見て歩くのも楽しい。 (昔は、文盲の人が多かったのです)
これは、ハサミ、針、三角定規、きっとSchneider(仕立て屋さん)です。
シュナイダーという政治家がいましたっけ・・・。
c0128628_19405663.jpg

果物・八百屋さん

スイス側は、別荘やリゾートホテルに長逗留するお客さんが多いのか、
しゃれたブティック、ギフト・ショップ、ワイン屋など等・・・
そういう店々をぶらぶら見て歩くのも楽しかったです。
c0128628_1941355.jpg

ベゴニアやペチュニアの花などありふれた花を、塔のように仕立てて
旅人の目を楽しませる工夫が感じられました。
デリカテッセンで売っている食品もスイス風の洗練されたものが多く、
私はワインと上等なチーズを一切れ切ってもらい、満足してホテルに戻りました。

[PR]
by tamayam2 | 2014-11-23 19:42 | たび | Comments(11)

【701】コンスタンツというところ(1)

今年8月末、スロベニアに行った後、少し旅行をしたいと思い、長年利用したい
と思っていたユーレイルパスを手に入れた。一定期間、一定範囲なら、どこでも
鉄道が無料になるというパスだ。オーストリアのウィーンを起点に4か国を
周った。まず、チェコ・プラハまで5時間ほどかけて行った。
プラハに2泊。そこから、ドイツ・ミュンヘンまで、やはり5時間ほど。
ミュンヘンに1泊して、そこからドイツの最南端、コンスタンツまで、
3回乗り換えて出かけた。
コンスタンツを目的地にしたのは、15Cにここで、コンスタンツ公会議が
行われた歴史的場所であるから。
(世界史で習った記憶のある方もおいででしょう。)
それと、私の趣味である生きた蝶々を見ることができる蝶園がコンスタンツの
郊外、マイナウ島にあるから。
c0128628_182534.jpg

ヨーロッパを横断するような広範囲の鉄道旅を計画したのは、やはり、私の生来の
吝嗇(りんしょく)に起因しており、ユーレイルパスを使ってできるだけ長い距離を
移動したいと考えたからだ。 (なんというセコイ考え!?)

街中を徒歩で周っていたら、疲れてしまい、大聖堂の前のベンチに腰を下ろし
市街地図などを見ていた。そうしたら、4,5歳くらいの女の子がちょこちょこ
広場に出てきて、シャボン玉遊びを始めた。そこいら中にシャボン玉が飛び交う・・・
大きいのやら、小さいのやら。辺りは、すっかり人々の微笑に包まれた。

この大聖堂は、時計台に記された年号によれば、1491年の建立。公会議のあった
1414~18年の翌年になる。1415年にこの地で、ヤン・フスというモラビア人
(現在のチェコ人)が処刑された。腐敗しきったカトリックの発行する免罪符に
異議を唱えたから。しかし、この事件が後のマルティン・ルターによる宗教改革を
後押しするきっかけとなったのです。
c0128628_1824694.jpg

ご一緒にこういう教会の内部に入ってまいりましょう。
入口は、二つありますがたいてい左側が開きます。なぜか、こういう大聖堂には
物乞いの人がいて手を差し出します。魚眼レンズで撮ったので、天蓋も見えます。
c0128628_1831439.jpg

中は薄暗く、祭壇が奥のほうに見えます。
c0128628_1833953.jpg

聖壇の彫刻の一つは、十二弟子の一人、トマスが磔刑後のイエス様に会うシーン、
「十字架の釘跡を実際にさわって見なければ、信じない」と言ったときの彫刻が
置かれています。(ヨハネ伝20章24節以下)
c0128628_184948.jpg

横の小聖堂には、柔和なお顔のマリア様の像があり、ロウソクが点火されていました。

私がコンスタンツに来る二日前にチェコのプラハの旧市街広場で、
ヤン・フスの銅像を見ました。工事中で、櫓が組んであったので、Web-site
から画像をお借りしました。
c0128628_1855363.jpg

ヤン・フスは、チェコの誇るカレル大学の学長でしたが、コンスタンツまで
公会議で喚問を受けるために呼び出されたのです。結果、自説を曲げずに
カトリックのやり方を真正面から批判したため焚刑に遭って落命することに
なりました。
c0128628_1866100.png

“真実は勝つ(Verutas Vincit)”という彼の遺言は、今はチェコの国旗に
残されています。(写真 上)


ヤン・フスの話は、ヨーロッパに於ける宗教改革の歴史をひもとけば、必ず
出てくる話です。15世紀に起こった出来事をぼんやりと考えていましたが、
21世紀の現在はあまりにものどかで・・・シャボン玉の泡のように記憶が
消えそうです。でも、多くの日本人観光客が素通りしてしまうこの町について、
少し書き記しておこうと思ったのです。

[PR]
by tamayam2 | 2014-11-21 18:06 | たび | Comments(5)

【696】冬時間

10月が去り、11月に入りました。
10月最後の日、つまり10月31日は、ハロウィンで東京の繁華街はにぎわった
そうです。商売に結びつけば、何でも取り入れちゃう節操なきわが国・・・
クリスマス、ヴァレンタインに次いで、ハロウィンもすっかり市民権を得たようです。
c0128628_7214119.jpg

さて、私がかつて住んでいたドイツでは、10月31日は、ハロウィンというより、
宗教改革記念日、マルティン・ルターが宗教改革の口火を切った日として記憶されます。
今年は、497年め、あと3年で500年に達します。

そして、翌11月1日は、諸聖人の日。昔で言うと、万聖節。
カトリックの諸聖人をお祝いする日ですが、日本で言うとお盆か、お彼岸のように
死者を覚える日です。
たいてい、その翌11月2日に死者の日として、お墓詣りをします。
c0128628_7221134.jpg

私Tamayam2は、2日の日曜日に、教会学校で、小学校低学年の子供たちに
サンタクロースについてお話をしました。
ドイツでは、12月6日がザンクト・二クラウスの日(聖ニコラウスの日)です。
c0128628_723377.jpg

子供たちは、この一年、良い子ちゃんだったか、悪い子ちゃんだったか、
ニコラウス様の前で審判を受けなければならない、きびし~い日となっております。
ここでは、サンタクロースが良い子のみなさんにいつもプレゼントを運んで来る
ハッピーな人物とだけ認識されてはいないのです。
(教育熱心な人たちですから、ただでは、子供にプレゼントを与えないのですね。)

聖ニコラウスは実在の人物で、4C、トルコ生まれの司教だった方です。
諸聖人に列せられたり、取り消されたりしましたが、やはり子供たちに最も親しまれて
いる諸聖人の一人であることは間違いがありません。

そして、お話の中で、サンタクロースとクリスマスとは無関係であると言いました
(そういうけじめを、本当は、日本の商売熱心な人たちに申し上げたいのですが・・・)
c0128628_7233111.jpg

この10月の終わりから11月にかけて、そこで生活している者にとって
非常に煩わしいことは、夏時間から冬時間に変わるという問題です。
c0128628_818398.jpg

10月最後の日曜ということになっておりますから、今年は、10月25日(土)の深夜
から26日(日)にかけて切り替わったはずです。
待ち合わせ等で、失敗をした経験を話し始めれば、いくらでも話題が尽きないでしょう。
ローカルの人たちはよく承知していることでも、寄留者である外国人には、
なかなか掴めない感覚です。

冬の日中の日差しを大事にして暮らさないと、健康を損ねるとも言われています。
凍てつく寒さと、頼りない太陽の光を愛おしむような日々が3月末まで続きます。
ドイツに友人によりますと、冬は、できるだけバルコン(ベランダ)に出て、そこで、
昼食をとったりお茶を飲んだりして日光を浴びるように努めているそうです。

町中を歩いておりますと、たしかに歩行に問題をかかえている老人たちが多いと感じます。
太陽の光が乏しいところでは、骨や筋肉が衰えやすいのでしょうね。
われわれも気をつけねば。

写真は、今年8月末訪問した、スイス、ベルンの時計塔
この写真のように市電がひっきりなしに通る道なので、ひかれないように注意しながら
撮影しました。首都ベルンは、町全体が世界遺産です。
冒頭は、ベルン大聖堂(Muenster)。ファサードには天国と地獄図が描かれ、
彫刻の周りに十二弟子を始め諸聖人が取り囲んでおります。

[PR]
by tamayam2 | 2014-11-03 07:20 | たび | Comments(10)

【685】スイスのテルマエ・ロマエ

8月末、スイスの友人宅に立ち寄って、ベルンの西、フリブール地方を
ドライブした。
ヌーシャテル、フリブール地方は、湖水が多く、時計産業の中心地。
c0128628_15541442.jpg

ドイツ語圏からフランス語圏に入ったところで、あらら・・・と思ったが、
友人のご主人が通訳をしてくださったので、レストランでおいしいランチを
楽しむことができた。
スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が公用語。
c0128628_1552339.jpg

ローマ遺跡に興味がある?」と聞かれたので、
昼食後、ムルテン湖南のAventicumという3Cに栄えた町へ足をのばした。
地図にはAvenchesとあり、アヴァンシュと発音しているようだ。
c0128628_15525435.jpg

c0128628_16242749.jpg

日本で人気になったテルマエ・ロマエは、ローマ風呂という意味だが、
その町の郊外にも昔の公衆浴場の跡地が田園地帯に拡がっていた。
みごとなもので、今で言う、床暖房の設備のある大型施設なのだ。
c0128628_15532999.jpg

ローマ帝国の統治の仕方は、しばしば「パンとサーカス」と言われる。
大衆に、パン(食糧)とサーカス(娯楽)さえ与えておけば、
政治に関心が向かず、世の中が平和に治まる・・・ということだ。
この町では、庶民は、競技場で剣闘士が戦うのを見て興奮し、
風呂に入って、労働の疲れを洗い流したのだろう。
あとは、ワインを飲んで寝るだけだ!
(なんだか、今の私の生活のよう・・・)
c0128628_15535456.jpg

遺跡のそばの金網に野生の葡萄が実をつけていた。
ローマ時代にもこんな葡萄がいたるところで栽培されていたのだろう。
c0128628_15542926.jpg

帰り道、ベルン郊外の田園地帯に、「ひときわ花がきれいな農家があるよ」、
と言われたので、車を止めてもらって撮影した。
c0128628_15545039.jpg

農業や酪農をしている農家のようだが、家の周りを花いっぱいにして、
沿道の他人の目を楽しませてくれている。
人を喜ばせるために花を育てる・・・何と心ゆたかな人々だろう。

[PR]
by tamayam2 | 2014-09-20 15:55 | たび | Comments(4)

【694】久しぶりの韓国

1984年というと、今から30年前になりますが、私は、当時始まったばかり
NHKラジオ「ハングル講座」を聴きながら、韓国語を全く初歩から学びました。
ハングルとは、韓国、朝鮮で使用されている独特の表記のことで、
【ハングル語】という言語はありません。

しかし、【朝鮮語】と言うと、北朝鮮の言語と間違えられるといけないということで、
講座名としては不採用。
日本と国交のある【韓国語】と言うと、韓国だけで使用されている言語と
誤解されてはいけないということでこれも、不採用。

学んでみてわかったことは、この言語は、朝鮮(北)でも韓国(南)でも共通に
使われており、朝鮮民族の言葉という意味であれば、【朝鮮語】でかまわないと
いうことです。(政治的なことを考えなければ・・・)

c0128628_21144377.jpg

前に述べたように、ハングルとは、表記の体系なので、日本ふうにいうと、
「ハングル講座」は「あいうえお講座」ということです。開講当時の先生は、
慶応大学の渡辺キルヨン先生、太刀川正樹先生、錚々たる教授陣でした。
ラジオを通して10年ぐらい習ったので、読むこと、聞くことはあまり不自由しません。
ありがたいことです。
昨今の“韓流”の時代がやってくるとは、当時は想像もできませんでした。
c0128628_21152083.jpg

今回はソウルより南西の、京畿道、仁川市、水原市、華城市などを訪問しました。
数時間滞在したソウル中心地、光化門で、運よく衛兵の交替式を見ることができました。
c0128628_21162686.jpg

c0128628_2117784.jpg

韓国の男性の“ますらおぶり”には、目を見張りました。
なよなよとした今どきの日本の男性と比べててはいけないと思うけれども、
やはり、兵役がある国の男性は鍛えられています。
彼らは常に“有事”を想定して暮らしているのです。
(隣国が、ミサイルをぶっ放したりしますからね。)

さて、今回の旅の一番の目的地は、華城市、堤岩里(チェアムリ)です。
1919年4月に起きた堤岩里事件の現場である、キリスト教堤岩教会で、
6月29日、私どもの教会の牧師が主日説教を担当されたのです。

主題は、聖書マタイ伝5章24節より、
“まず行って、兄弟と和解せよ(먼저 가서 형제와 화애하라)”

堤岩里事件とは、1919年4月、旧日本帝国の圧政に苦しんでいた韓国人の側から
起こった三・一(サミル)独立運動が高まりつつあったころのこと。
日本軍がこの小さな部落の教会に集まった23名のキリスト教徒を銃剣で刺した後、
教会に火を放って閉じ込めて惨殺した事件です。
c0128628_2118011.jpg

見せしめだったのか、日本側にも出ていた犠牲者に対する報復だったのか・・・
歴史解釈はいろいろですが、たまたまその事件を目撃したアメリカ人宣教師によって
世に広く知られる事件になりました。
c0128628_21181679.jpg

事件後95年を経た今、すでに犠牲者の遺族で教会に通って来る人は、いない
模様でしたが、礼拝の出席者にも深い感慨があったのでしょう、
説教後に幾人かの老人が私どもの席に駆け寄ってきて握手を求めました。
痛みを受けた側は、時を経てもその痛みを忘れることはありません。
現場の記念碑のそばにあった絵と説明文。

一番上の写真は、水原の民族村で撮影しました。
韓式の家屋と庭に並べられたたくさんの甕(かめ)、甕、甕。
キムチも味噌も醤油もこういう甕の中で熟成させるようです。
韓国の料理は、辛いばかりでなく、色々な醗酵食品が醸し出す旨み尽くしで、
とてもおいしかったです。
c0128628_21191750.jpg

今回の旅は、忙しい日程で、たくさんの場所を訪問し、多くの方々にお目に掛かり
ました。韓国、日本の緒事情に触れ、久しぶりに韓国語を聞いたり、話したりして
両国のことを考えるよい機会となりました。

[PR]
by tamayam2 | 2014-07-04 21:20 | たび | Comments(10)

【681】富岡製糸場が世界遺産に

群馬県の富岡製糸場が、ユネスコの世界遺産(産業遺産)として認められたという
うれしいニュースが伝えられました。連休中は、大変な人出だったということです。
c0128628_1132167.jpg

私が出かけたのは、2011年4月、たまたま信州からの帰り道に、立ち寄ったの
です。“世界遺産に!”、という町の人たちの熱い気持ちは伝わりましたが、
ちょっと無理なのでは・・・と思っておりました。
c0128628_1132474.jpg

明治5年に建てられた工場は、かなり傷んでいましたし、町の規模が小さく、
人が押しかけたら大変ではないか・・・とも思ったものです。

日本で産業遺産として、先に認められた島根県石見銀山(いわみぎんざん)もなかなかアクセスの
難しい場所でした。過去ログ:2012年11月  石見銀山にて

石見から産出された銀が一時期、ヨーロッパで大いに流通したという事実が、
世界的とみなされた理由です。

富岡の場合、ヨーロッパでどんなに絹織物が珍重されたか、フランス・リヨンでは
絹の緞帳、絨毯、女性の夜会服などを扱う老舗の店をいくつか見たことがあります。
ヨーロッパの人々にとって、日本は絹を産出する国というのが基本的なイメージです。
シルク・ロードの果ての極東にジパングいう国があるのです。

日本の養蚕の智慧が、フランスの製糸工業の技術を導入することによって、
世界的な規模の産業として発展したのです。
工場わきには、フランスから技術指導に来た人たちの宿舎が残されていました。
明治年間に、日本人とフランス人がどうやってコミュニケーションを図ったのでしょうか、興味深いことです。
c0128628_11334165.jpg

建築にもフランスの智慧が至るところに生かされていました。このレンガの積み方も
その一つです。この積み方だから、堅牢なのです。
c0128628_1134212.jpg

製糸工場で働く工女は、「女工哀史」として伝えられるような気の毒な下働きではなく、
技術者としてよい待遇を与えられていたと聞き、うれしく思いました。
いまで言えば、都会で高給をとるOLというような、憧れの職業だったようです。
そういうことを知ったのも、町のヴォランティアのガイドさんがていねいに説明して
くださったからです。
ユネスコの世界遺産には、自然遺産、文化遺産の他に、産業遺産という分野もあり、
日本では、石見銀山に次いで、富岡が2番目。

ドイツでは、ゴスラ-(Goslar)という中部の銅山が、産業遺産に登録されています。
過去ログ: 2005年10月 ゴスラ-の鉱山
過去ログ: 2009年9月  鉱山の町、ゴスラ-  
 
たしかに、この小さな町の産出する銅のおかげで、ヨーロッパの人々の生活の質が
向上したことは事実なのです。また、ゴスラ-を中心として交通、流通が画期的に
発展したのです。
ドイツを訪れる旅行者は、こんな山奥の鉱山に立ち寄る人は多くないのですが・・・
c0128628_11483593.jpg

c0128628_11491912.jpg

富岡の工場の近くで見た、タイツリソウ【鯛釣草 ケシ科ケマンソウ属】
c0128628_11494048.jpg

Yamyam町で最近、とても増えていたように思う外来種のヒナゲシ
ナガミヒナゲシ【長実雛罌粟 ケシ科 Papaver dubium】
1961年に東京世田谷区で、発見されて以来、いまや住宅地、道端、空地・・・
どこにでも侵出していといわれています。可愛いけれども、ちょっと心配。
c0128628_1149597.jpg

c0128628_11502755.jpg

ウチの庭のシャガ山椒の若葉も・・・今の季節を彩る植物として載せてみました。
筍の煮物に、“木の芽”は欠かせませんね。

[PR]
by tamayam2 | 2014-05-05 11:42 | たび | Comments(4)

【680】新宿御苑のサクラたち

先輩のKさんへ、

その後、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
先日、新宿御苑にサクラを見に行ってまいりました。
偉い方々が集う園遊会とか観桜会とかありましたが、その後の4月23日、
サクラは、やや盛りを過ぎた様子でしたが、ぽかぽか陽気の気持ちのよい午後でした。

大木戸門から入って、ずずっいとイギリス式庭園を過ぎて池のほうへと、
歩を進めてまいりますと、途中で鬱金(ウコン)普賢象(フゲンゾウ)が見えて
きましたが、サクラの花にくわしいOさんが、どんどん先に行きますので、
私は撮影もそこそこ、はぐれないようについてまいりました。
c0128628_20554168.jpg

池のほとりの角のところにお目当ての御衣黄(ギョイコウ)がありました。
うっすらと、ピンクや黄緑の線が入っており、咲き始めのころは、全くの萌黄色だと
教わりました。ぜひ、その時期に見てみたいものです。

サクラは、ピンクとばかり思い込んでおりましたが、黄緑のサクラが実際にあるのですね!
c0128628_20563485.jpg

私、実は、17日に、サントリー・ホールの音楽会に出かけたのですが、そこの
入口の近くで、ピンクと黄緑の花が混ざっているようなサクラを見つけ、
めずらしいと思って写真を撮ったのです。
ああ、それは、やはり鬱金(ウコン)でした。
c0128628_20571146.jpg

その後、我々はツツジの植え込みのある丘をすぎ、旧御涼邸(台湾閣)に行きました。
c0128628_20574647.jpg

ここは、昭和天皇のご成婚を祝して、台湾在住の邦人が寄贈なさった建物ということです。
台湾閣から日本庭園を観るのもよし、日本庭園から中国風の四阿を眺めるのもよし、
まことに風雅な眺めでした。フジの花が四分咲きぐらいにほころんでおりました。
c0128628_20581847.jpg

その後「上の池」のあたりを歩いておりますと、いい香りが!?
名札によると駿河台匂(するがだいにおい)という種類でした。
上品な香りで、うっとりといたしました。
c0128628_2101377.jpg

池のほとりにイヌザクラ(ウワミズサクラ亜科)も見られ、これも桜の種類だと知りました。

そこから「親子の森」の方へ参りますと、オオアマナ、セリバヒエンソウ、ラショウモンカズラなどが生えているのが見られました。
都心なのに、貴重な野草だと思います。

ラクウショウの気根がにょきにょき出ている湿地を通りこして、新宿門近くの広場に出ますと、
ああ、運よくハンカチの木の花がひらひらと見えてきました。Oさんは、落ちている種をいくつも拾っていました。
庭に植える気でしょうかね。
c0128628_211351.jpg

雲南省に派遣されたフランス人の神父様の名にちなんで、Davidiaと呼ばれている
ハンカチの木(ミズキ科 Davidia involucrate)
じつは、この神父様、フランス人、と言ってもバスク人。
スペインの北部、バスク地方の出身です。バスクというのは、フランス人でもなく、
スペイン人でもなく、バスク語を話し、じつに独立の気運の旺盛な人々です。
イエズス会の創始者、イグナシオ・ロヨラや、日本へキリスト教宣教に関わった
フランシスコ・ザビエルもバスク人です。
  Armand David、1826-1900
David神父様は、ラザリスト会出身で、中国雲南省に派遣されたのでありますが、
四不象というシカの一種やジャイアントパンダを初めて西洋に紹介した動物学者として
有名です。また、ハンカチの木ほか、多くの極東の植物を西洋に紹介したプラントハンターと
して名を残しています。

彼は、きっと、雲南省に派遣されたことをどんなにか幸せに感じていたことでしょうね。
珍しい、動植物にあふれていて、(本業の宣教よりも?)博物学への魅力に
魅了されてしまったことでしょう。
彼の発見により記録された植物はハンカチの木だけにとどまりません。

その後、われわれは、徒歩でいつもの場所まで行き、兄をしのび一献傾けたことは
言うまでもありません。
どうぞ、ご健康に留意なされ、またいずれの地でか、お目に掛かれる日を
われわれ一同、心待ちにしております。

[PR]
by tamayam2 | 2014-04-30 21:03 | 日々のできごと | Comments(2)