タグ:人 ( 58 ) タグの人気記事

【659】中央区明石町

歳末に、買い物目的ではなく、人出を見に築地に行こう、と家人が
誘うので、断る理由もなく従った。
案の定、築地場外市場は、ひどい混みようだったので、裏手の
聖路加国際病院のほうへ歩いていった。
c0128628_1156976.jpg

聖路加(せいろか)と呼びならわしているが、聖ルカのことで、
新約聖書ルカ伝や使徒行伝の筆者で、医者と伝えられる。
だから、世界中にSt. Luke's Hospitalがある。
地番でいうと、中央区明石町10番地。
c0128628_11565422.jpg

この辺りは、明治の初期に、外国人の居留地区になっており、たくさんの
ミッショナリ―(キリスト教の伝道者)がこの地に住んでいた。
そこに建てられた学校は、俗にミッション・スクールと呼ばれ、今の
雙葉学園、明治学院、女子聖学院、女子学院、暁星学園、青山学院・・・等々
がこの地で誕生した。関西では、「八重の桜」の同志社が生まれたころであろうか。
私の母校(高校)もこの辺りが発祥の地と聞いていたので、一所懸命に探したら、
聖路加看護大学の敷地内の植え込みの中にあった。母校は、今年創立146年。
c0128628_11572690.jpg

そのすぐ近くには、慶応義塾大学の碑が。昭和33年に百周年を祝われたというと、
今年は、156周年か?! 
c0128628_1158239.jpg

近くの公園には、蘭学発祥を記念してシーボルトの像があった。
シーボルトは、1826年にオランダ商館長に随行して江戸に来ている。
c0128628_11583734.jpg

私は、2006年にオランダのライデンを訪ね、植物園の中のシーボルト庭園で
シーボルトの像を見た。日本の像は、胸に勲章をたくさんつけちゃって、えらそう!
フィリップ・フォン・シーボルト(1736-1886)
過去ログ:2006年10月 “シーボルトとあじさい”
史跡巡りの後は、佃大橋を渡り、隅田川の対岸、佃島(つくだじま)へ。
c0128628_1203184.jpg

中央大橋の左側にスカイツリーが見えた。
佃島は、佃煮(つくだに)の語源になった島。今でも小魚を捕る漁船が見える。
c0128628_1234684.jpg

若い人は、佃煮など好きじゃないかもしれないが・・・お正月のゴマメ、
小女子のクギ煮、昆布、アサリ、小エビの佃煮・・・白いご飯に佃煮があれば、
日本人はたいていうれしい。
c0128628_1241950.jpg

c0128628_1244338.jpg

あちこち興味深く見て歩いていたら、日も傾き、先ほど渡った佃大橋の向こうに聖路加国際病院
だろうか、高いビルが見える。中央が渡り廊下で結ばれて、ツインタワーのよう。
あの102歳の日野原重明先生は、エレベータを使わないで階段を上り下りして、勤務なさると
と聞いている。しばらく歩いて、大江戸線月島駅から帰途についた。

by tamayam2 | 2014-01-04 12:05 | 日々のできごと | Comments(14)

【653】今日は聖ニコラウスの日

ドイツ時代の知り合いからメールが来て「今日、12月6日は、セイント・二クラウスの日
と書いてありました。・・・あの、サンタクロースさんのことです!
日本では、クリスマスとサンタクロースのイメージはしっかり結びついていて、
クリスマス・カードのディザインにもよく使われます。
c0128628_1416723.jpg

確かにクリスマス前のこの時期のお祭りではあるのですが、じつは、キリスト教の
クリスマスとは、まったく関係がないお祭りです。
子供たちは、この一年、良い子ちゃんにしていたか、
          それとも、悪い子ちゃんだったか・・・
ニコラウス様の審判を受ける日であるからして、緊張する日なのです。
と、言ってもそれは、ベルギー、オランダやドイツなど北ヨーロッパでのお話。
c0128628_14153297.jpg

オランダでは、“シンタクラウス”の日と呼びます。
日本と同じように、司祭の格好をしたヒゲのおじいさんですが、渦巻きのついた
なが~い杖を持って現れ、子どもの行状を書いた閻魔(えんま)帳をチェック
するのです。(西洋の聖人ですから、閻魔帳はおかしいか・・・)
上のクッキーの袋の絵のような姿です。
c0128628_14163826.jpg

また、クリスマスのころよく出回るTamayamがとても好きなクッキーがあって、
それは、スペクラティウス(Spekulatius)という薄手のクッキーです。
複雑な型押し模様がついているのですが、たいてい聖人の姿で、お味は、スパイスの味がきつく大人向きです。
日本人に贈ったら、漢方薬の香りがすると言われ不評でした。
ま、これが北ヨーロッパのクリスマスを思い出させる味なのです。
c0128628_1417082.jpg

c0128628_14174796.jpg

先月末、四谷の上智大学に行きました。神父様たちがお住まいの建物の裏手に、
庭園があるのですが、紅葉がきれいでした。
c0128628_1418778.jpg

この版画は、聖書をテーマとして数多くの作品を遺された渡辺禎雄さんの作品です。
キリストが十字架に架かる前、12人の弟子たちと共にした「最後の晩餐」の絵。
この食事のメイン・ディッシュが魚であったことは、定説になっていますが、渡辺氏は、
大きな尾頭付き鯛をテーブルのド真ん中にもってきました。そして、テーブルには、
握り寿司も並んでいますね! 渡辺氏は日本的な表現で最後の晩餐を描いたのです。
その点に、私は大いに感動して、この版画を買ってしまいました。
キリストが十二使徒と握り寿司を食するの図は、愉快ではありませぬか。

この画の下部、右から二人目の弟子は、イスカリオテのユダです。
彼は、後ろ手に、金子の入った袋を隠し持っています。
この後、彼は銀貨30枚と引き換えに、イエスを祭司長たちに売ったのでした。
その結果、イエスは磔刑に処せられたのです。
渡辺禎雄(わたなべさだお 1913-1996)型染版画家

by tamayam2 | 2013-12-06 14:19 | 日々のできごと | Comments(12)

【636】Blog友の出版に思う

Blogで何年がお付き合いしている宮沢賢治研究家のネネムさんが、
『イーハトーブ・ガーデン』という写真・エッセイ集を出版された。
彼女がここ数年熱心に撮り続けているカワヤナギの花芽の表紙だ。
この本については、ここ でご覧になれます。
c0128628_141425.jpg

彼女の視点は常に、賢治が愛した植物を実地に見ること、賢治がどう名づけたか、
作品中でどう表現しているかを探ることに凝縮される。その視点が素敵だ。
専門家ならではの考察にいつも教わることが多い。
c0128628_142193.jpg

宮沢賢治(1896~1933)は東北の限られた地域で活動し、若くして亡くなったのに、
彼の世界観、自然観は、おどろくほど自由で、広く、膨大な作品中で扱っている樹木
の数は120種、草花は260種余り・・・賢治が生きていた時代には、珍しかったと
思われる園芸種や、シダや地衣類など特殊なものも含めると一大植物誌となる。
c0128628_1425778.jpg

私は、ネネムさんのBlogで、ノブドウが“めくらぶだう”、ヤナギが“べむべろ”と
賢治の作品では呼ばれていることを知った。
私が密やかに愛しているサイカチヤドリギなど、かなり特殊な植物も登場する。
c0128628_1433212.jpg

日本の詩歌で愛されている花鳥風月の世界とは異なった賢治の美意識の世界がある。
賢治の表現は、現代にも通じる新鮮な言葉で綴られる。文学には門外漢の私にも興味が
尽きない。
c0128628_1435579.jpg

ネネムさんのBlogを初めて紹介してくださったのは、大阪在住の「Festina Lente」の寧夢さんという方。
ネネムさんと同時に「今日も楽しくCiao!」のBellaさんもご紹介くださった。
あなたがきっと気に入るBlogだと思って・・・と。
(寧夢さんとBellaさんのBlogは右のリストにリンクがあります)

そういうBlog友とのお付き合いは、かれこれ4,5年になるだろうか。
植物が好き、写真が好きという共通項だけで、こんな素晴らしい方々と知り合いに
なることができて、本当に幸せだ。
c0128628_1454048.jpg

私がBlogを初めて今年で10年になる。はじめは何を書いてよいかわからなかった。
その内、何かテーマを持ちたいと考えるようになり、私の場合、植物という大きな
テーマは決まったものの、ネネムさんのように絞り込めていない。そこいらへんが
私の限界なのだろうが・・・Blogという新しい手法で、自分の視野を拡げてくれる人たちを
たくさん知ることができたこの10年に感謝でいっぱいだ。
c0128628_146756.jpg

9月の野原を歩いていると、どこでもよく目につくのがセンニンソウ
センニンソウ【仙人草 キンポウゲ科 Clematis ternifloea】
学名が示す通りクレマチス、テッセンの仲間。花の後には、風車のようなひげ根が伸び出て(それが仙人の髯のように見える)
種を盛大に飛ばす。頑強で他の植物に絡み付いてはびこり、毒草でもあるのだが、
花は花嫁のブーケにしたいほど可憐でかわいい!?

野原で、ダンギクという植物を見た。
菊の葉に似ているがキク科ではない。
ダンギク【段菊 クマツヅラ科 Caryopteris incena】

同じクマツヅラ科のカリガネソウもその近くで見たが、花の形は違うものの、
近縁種らしい。風に揺れる花は、本当に鳥の姿のよう。雁がねは雁だが、
私には中米で見かけるケッツアルという鳥のように見える。
カリガネソウ【雁がね草 クマツヅラ科 Carypteris divaricata】

by tamayam2 | 2013-09-23 14:07 | 日々のできごと | Comments(8)

【619】尾瀬の山小屋に泊まる

山小屋に泊まるというと、何となく汗臭い山男たちがうろうろしていて、
食事は、カレーライス、というようなイメージがあった。

ところが、どっこい、そのイメージは完全に過去のものだった。
c0128628_06312.jpg

和手拭いをきりっと頬かむりした男たちがきびきびと働き、年代ものの
木造建築は、隅々まで拭き清められ、食事はとてもおいしかったのだ!

お風呂など期待していなかったけれど、ハイキングの汗を流すお風呂もあった。

但し、尾瀬の山小屋では、石鹸、シャンプー、歯磨き粉などは、使えないのだった。
洗剤入りの水は、地面に流れ、いずれ地下水になる。湿原の地下水を汚さないため、
化学物質の混ざった水は流さないのだ。
c0128628_065796.jpg

有名な、長蔵小屋に泊まった。現在のご当主は、三代目。
初代の平野長蔵氏の精神を引き継いで、気持ちのよい宿をハイカーに提供している。
長蔵小屋の前庭に植えられたヒメサユリ
絶滅危惧種NTだそうだ。

シーズン中、若い男女がアルバイトとして働いていた。
きびきびと働いている若者たちの言葉づかいは、まともで歯切れがよい。
(世間でよく耳にするコンビニ・マニュアル言葉ではないのだった・・・)
c0128628_08820.jpg

そこからすぐ近くの大江湿原では、ちょうどニッコウキスゲが満開だった。
c0128628_083021.jpg

二日目に泊まった第二長蔵小屋の部屋から見た景色。早朝4時ごろ。
朝焼けがきれいだ、今日も頑張って歩こう!
c0128628_09778.jpg

尾瀬ヶ原全般でよく見た小さなランたち。
c0128628_093585.jpg

鐘馗(しょうき)ランギンリョウソウは、葉緑素を持たず、菌類に寄生する
c0128628_095594.jpg

腐生植物。森林の倒木、落ち葉などのゴミを片づけてくれるのは、菌類と聞いた。
c0128628_010314.jpg

ゴミはいつの間にか土に戻っていく。そして、その土が次の世代を育てる栄養となる。
尾瀬のきれいな植物を育てている水を、我々人間が汚してはならないと、
山小屋に泊まって強く感じた。

by tamayam2 | 2013-07-25 00:11 | たび | Comments(10)

【613】お墓事情

ケルン(Köln)に住んでいたころ(2004~2007)、
どちらにお住まいで?と聞かれたら、
Melaten墓地の近くと答えていた。
そう言えば誰でも知っているケルン市の市民墓地。
c0128628_19563329.jpg

嘘か本当か知らないが、Melatenとはフランス語でmaladie(病気)と
言う意味で、16C~18Cにヨーロッパを襲った黒死病(ペスト)のころ、
市を取りまく城門を開け、城外であるこの地へ遺体を捨てたという。
病気というのは、ペストのことだったらしい。

牧師も棺桶も墓堀り人もいなくなって、庶民は埋葬もできず、ここに
親族の遺体を運ぶしかなかったという。
モーツアルトの生涯を語った映画「アマデウス」でも、大雨の中、
モーツアルトの遺骸を載せた台車を遺族が城門のところで見送る
シーンが出てくる。
c0128628_19571063.jpg

上は、昔の城門跡がまだ残っているケルンの繁華街Rudorfplatz
墓地は、ここから市電で3駅のところにある。
Melaten墓地は、市民で教会税を払っている人なら5、60年間借りる
ことができる。土葬が主だが、最近では衛生的見地から火葬が
奨励されているという。しかし、火葬場が足りないので、火葬まで
10日以上待つことも普通だそうだ。
c0128628_19592923.jpg

立派な彫刻をほどこした古典的な墓もある。
c0128628_200883.jpg

こちらは、一見草花の植え込みのように見えるが、新しいスタイルの集団墓地
である。大理石に個人の名が記してある。よく見なければ、墓石と見えない。
c0128628_2004885.jpg

こちらは、樹木葬のように、一本の木を中心に放射状に遺灰が埋められる。
c0128628_203138.jpg

c0128628_2021548.jpg

生木ではなく、石の塔や、横に配列した墓石群もあった。

人は、どんなに高貴な人でも死ねば、土に還り、辺りの植物の
肥やしとなる。当たり前のことだが、なかなか合理的に処理
しにくい問題である。

私の友人の墓がどんなスタイルになるのか、知らない。
後日、ケルンを再訪するときには、ご遺族に場所をうかがって
墓前に花を手向けようと思う。

日本と同様に、敗戦国であったドイツ、ケルン市は、大聖堂を除いて
全て空襲で焼かれ、瓦礫の原になった。ケルン市長であり、戦後、
連邦政府の初の首相になったアデナウワー氏は、市の再建に当たり、
町を取りまくように緑のベルトを二重、三重に巡らすことを最優先
課題とした。
c0128628_2044462.jpg

市民が憩える安全な森が歩いていける範囲にある都市というのは、
非常にありがたかった。
私は、森からたくさんのことを教えてもらったと思う。

by tamayam2 | 2013-06-21 20:05 | たび | Comments(12)

【612】友人の葬儀に、ケルン再訪

私の誕生日にいつもカードをくれるドイツ人の友人のGから
カードが来なかった。イースターが過ぎたころ(4月の始め)と
彼女の誕生日5月28日に間に合うように贈り物を送ったが
返事がなかった。もしや、と思っていたら、訃報が。

17日に葬儀という知らせだったので、15日(土)にドイツに発って、
19日早朝に帰国した。3泊のあわただしい悲しい旅となった。
c0128628_15115796.jpg

到着したのは、15日の晩、6時ごろ。サマータイムで9時過ぎまで
明るいので、ホテルのわきの森には、たんさんの家族連れが散歩して
いた。自転車で、あるいは、自家用車を森に縁に停めてそこから
歩いてきたのだろう。ドイツ人は、つくづく「森の民」だと思う。
c0128628_15123475.jpg

こんな新緑の季節ばかりでなく、小雨降る日でも雪の中でも、彼らは
森に来て歩く、歩く。そこで、家族が話し合い、恋人たちは将来の夢
を語り合うのだ。
土曜日の午後から日曜日にかけて、すべての店が閉まり、消費行動は
ご法度。コンビニが至るところにある日本から見ると、驚くほどの
徹底ぶりだが、どの労働者にも日曜日は安息日として休む権利が与えられて
いる社会だから、人々はその日は安息日として過ごすことになる。
私は、市電に乗って、町まで行きたかったのだけど、小銭がなくて、
市電の切符が買えず往生した。仕方がなく、4Kmぐらい歩いてしまった。
c0128628_15221126.jpg

私がかつて住んでいたのは、ケルン市のLindenthal地区。
Lindenthalとは、リンデン(西洋ボダイジュ)の谷という意味だ。
ちょうど、リンデンバウム(西洋菩提樹 シナノキ科 Tilia x europaea)の花が満開
だった。
♪~泉に沿いて、茂る菩提樹・・・ あのシューベルトの菩提樹ですよ。 写真上。↑
よい香りがし、ミツバチが大好きな木だ。亡くなったGは、いつも
おみやげにずっしりと重いリンデンの蜂蜜をくれた。ドイツ人の抗生物質
だからね、傷口に塗ってもよいのよ、と言って。

下の写真は、多分ウツギの種類(?) 墓地には、たくさんの白い花が咲いていた。
c0128628_15154913.jpg

葬儀は、300人ほど集まり、棺はたくさんの素朴な小花で飾られていた。
c0128628_1516279.jpg

後日、親族だけが立ち合って火葬と納骨式が行われるということだった。
上は、サワグルミの実。 鎖のように長く垂れ下がっていた。

葬儀の案内状にあった言葉が彼女の性格と生涯をよく表していたので、
ここに書き留めておこう。
(私ども親族は、亡くなったGに対してこのような形容詞を捧げます)
Sie war eine starke Persoenlichkeit, lebensbejahend, kommunikativ,
vielseitig und stets neugierig.
(彼女は、強い個性を持ち、人生のあらゆることを前向きにとらえ、
わかり合えるまで人と話す努力を惜しまず、多方面にわたって、
好奇心を示し、未知の物事に対して常に探究心をもっている人でした。)

c0128628_15171194.jpg

私がドイツ滞在中に、まさか、生涯の友を得ようとは、想像もできなかった
ことですが、彼女の上記の性格によって、肌があったと言おうか、
とことんまで、理解しようとよく話した結果、時間をかけて友情を築くことが
できたのだろうと思います。
c0128628_15174170.jpg

私は、ドイツ語がうまくできず、彼女は、日本語が未熟でしたが、
二人の間の共通語は、お互いにとって外国語である英語でした。

by tamayam2 | 2013-06-19 15:17 | たび | Comments(6)

【604】大正年間にできた学校、二つの校舎

先日、さいかち坂を歩いたとき、御茶ノ水・駿河台近辺をぶらぶらした。
あちこちに、明治大学、日本大学の校舎が点在していて、そこ、ここで
朗らかな笑い声が弾けている。若々しい町だ。
でも、私ども年配者にとっても、懐かしい学校がありましたよ。
どちらも大正年間にできた専門学校です。
私はそのどちらにも通ったことはないのですが、何だか夢多き若き日の
ことを思い出して、ジーンとしてしまいました。
c0128628_199149.jpg

①文化学院
なんと、今年で創立92年!(1921年、大正11年創立)
創立者は、西村伊作という方ですが、与謝野鉄幹、晶子夫妻が学校設立に関わり、
自ら教壇にも立ったのです。この学校の教師陣は、昔も今も、その道の一流の方が
綺羅星のごとく輝いているのです。文芸、演劇、美術などの分野の人材を養成する
専門学校です。
c0128628_1993813.jpg

入り口は、英国コテージ風、アーチ型の入口は、洞窟の穴の
ようです。私が若いときに知っていた文化学院にもアーチ型の入口でしたが、その
建築は今はなくて、2008年に再建されたそうです。この建物は、驚くべきことに
14階建ての校舎が背後に控えていて、日本BS放送と建物を共有しているのだそう
ですが、外観から見るとのどかなコテージ風なのです。
遠藤 誠という1968年生の若い建築家の作品です。

②アテネ・フランセ
“ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し・・・”(萩原朔太郎詩)

私が学生のころ、フランスへ留学する人は、たいていこの学校に通って、
学校フランス語を鍛え直したのではないでしょうか。ドイツ語なら、ゲーテ・インスティテュト、
英国留学ならブリティシュ・カウンセル・・・
私はそういう先進国へ留学しなかったものですから、こういう学校に通う同窓生を
まぶしい思いで眺めていたものです。
c0128628_19102377.jpg

創立は、1913年(大正2年)フランス政府の文化広報活動の拠点です。
上の建物は本館ですが、中央屋根の辺りに人の横顔のマークが見えます。これが
学校のマークなのですね。
c0128628_1911270.jpg

更に、ピンクの壁をよく見てみますと、レリーフのような模様が規則的に並んでいます。
アルファベットのようでもあり、Atheneeという文字をかろうじて読むことができます。
う~む、洒落ているなぁ、と感心して見ました。
この建物は1967年、吉阪隆正という有名な建築家の作品だそうです。
c0128628_19114349.jpg

もっと感心したのは、本館に続く建物の壁です。基本的には、鏡のように輝くメタルで
できているのですが、表面が波打っているものですから、道を隔てた前の街路樹や、
建物が非常におもしろい形を形成するのです。しかも見る人の立ち位置によって、
その模様がどんどん変形するのです。まるで万華鏡のような面白さです。

言葉で説明するのはとても難しいですから、御茶ノ水方面に行かれたら、ちょっと
その模様が変形する壁をごらんになってください。
東京・御茶ノ水なら、ふらんすより、近いですよ。地図はここ
by tamayam2 | 2013-05-11 19:15 | 日々のできごと | Comments(6)

【600】Blog開設600回 げんげそうの歌に寄せて

ちょうど1年前の5月5日に、500回目でした。1年で約100回更新した
ことになります。初めてExcite Blogを開設したのが2007年 8月2日。
6年経って、600回ですから、やはり年平均100篇の写真つき短文を書いた
ことになります。今日は、ちょっと回顧的なお話をさせてください。
c0128628_1403247.jpg

♪・・・ねんねのお里のげんげ草
      ぽちぽち仔牛も遊んでる。
        牧場の牧場のげんげ草
          誰だか遠くで呼んでゐる。

この歌は、北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡で、昭和6年ごろの日本童謡曲集に
収録されている童謡です。あまり知られているとは言いがたいこの歌について
以前、Blogで知り合った方がこの歌の思い出を書いておられ、飛び上がるほど
驚いたことがありました。私にとって、どこか幻想のようなこの歌を、
現実に知っておられる方がいたという事実に驚いたのです。
消えがてのうた part2 

なつかしい、なつかしい歌です。
私の幻想では、この「ねんねのお里」は、幼児のころ一時期疎開していた
奈良県・富雄という場所につながるのです。
戦後まもない昭和21年、22年(1946~47年ごろ)のころです。
c0128628_1422366.jpg

近くに小川が流れており、家の横の畑には一面にレンゲが咲いていました。
仔牛がいたかどうか、記憶にないのですが、近くにレンズ工場があって・・・
レンゲ、タンポポ、スミレがいっぱいのこの原っぱが私の遊び場だったのでしょう。
c0128628_1425464.jpg

当時母がよく歌ってくれたこの歌のイメージと、おぼろげな幼少時の記憶がいっしょになって、この場所が私の頭の中で「ねんねのお里」、あるいは、
「げんげのお里」として定着したらしいのです。
2番以下はこのように続きます。

c0128628_1434647.jpg
 
♪~ねんねのお里はよい田舎
   ぽつぽつお汽車で下りたなら。
    道はひとすじ田圃道
     藁屋に緋桃も咲いてます。
c0128628_1441167.jpg
 
♪~ねんねのお守はゐやせぬか
   ちよろちよろ小川もながれてる。
     いつだか見たよな橋もある
      小藪のかげには閻魔堂。
c0128628_1443146.jpg
 
♪~ねんねのお里で泣かされて
   お背戸に出て見たげんげ草。
      あのあの紅いげんげ草
         誰だか遠くで呼んでゐる。

曲は ここ⇒ 聞くことができます。

家の横を流れていた小川、近くにあった、御堂。
閻魔堂であったかどうか・・・ほの暗い場所に御堂があり、薄暗い竹林があり、
子供心に怖かった思い出があります。
遠くから聞こえる人の呼び声、牛の鳴き声・・・
c0128628_1454983.jpg

最後のフレーズ、♪~あの、あの紅いげんげ草・・・母の繰り返し歌っていた
声が聞こえてくるようです。

当時は、妹もまだ生まれていなかったので、この風景を記憶しているのは、今や
私だけになりました。いくら、小川にかかる橋の角にあったこの家の話をしても
老女の繰り言にしか見えないので、黙っておりましたが、白秋の描いた風景が
あまりにも私の記憶にある、あの場所にそっくりなので、驚いてしまうのです。
c0128628_1461014.jpg

おそらく、昭和初期に、日本中のどの場所にでもあった一風景なのでしょう。
きっと、みな様の記憶の中にもそういう原風景というような、大事に
心にしまっておきたい場所があるに違いありません。

最近、げんげ草(れんげ草)を見ていないので、写真がありません。
赤城自然園で見たスミレの数々を載せました。

by tamayam2 | 2013-05-02 14:07 | 日々のできごと | Comments(12)

【587】エル・グレコ展にて

先週8日、ちょっと時間があったので、上野で開かれているエル・グレコ展
行ってきた。昨年の3月、スペイン・トレドを訪問、迷路のようなトレドの
町を歩いて、大聖堂でグレコの作品をいくつか見た。
c0128628_15244590.jpg

お名前のグレコとは、ギリシャ人のこと。El という冠詞がついて、
ギリシャ人の男というほどの意味だろうか。生涯の大半をスペイン、トレドで
過ごしたのに、「僕の出自はギリシャですよ」と明らかにしておきたかったのだろう。

都美術館には、すばらしい作品が51点も世界中から集められている。
エル・グレコ展 HPはここ
トレドに行っても、見られる作品は限られるのに、日本の展覧会では、
その画家の作品を束ねて、見せていただけるので、ありがたい。
私の行った日は、さほど混雑していなかったので、ゆっくり見られた。
c0128628_15232119.jpg

無原罪のお宿りは、3メートルを越す大作で、おそらくこの展覧会の華の一つ。
中央に描かれた天使の羽がデフォルメされて、魚眼レンズで見るような、
立体的効果があり、今にも羽が動きそうなのだ。見上げる聖母マリアの澄んだ瞳、
天井から降り注ぐ光、地上に咲く小花やトレドの町並み・・・
一つの画面に天井、中空、地上の様々な風景が描かれており、万華鏡を見るような
華やかさなのだ。
c0128628_1524556.jpg

トレドのサント・トメ教会にある大きな作品、オルガス伯爵の埋葬は、
東京展には、来ていない。(その作品を貸し出したら、トレドへ出かけた
観光客ががっかりして怒りだすかもしれない。)


この作品も一つの画面に、死んだオルガス伯爵と、上のほうには、赤子の姿
となって天使に抱かれ、昇天するオルガス伯爵の姿が描かれている。時空を
越えた不思議な光景と、異邦人の画家に親しい温情をかけてくれたトレドの友人たち
がずらりと並んでいる。人の群れの中にエル・グレコ自身の顔も見える。
宗教画なのに、わりに人間的な感じがする作品だ。

エル・グレコは16世紀の画家なのに、なぜか、漫画や劇画のようなモダンな
感じがして面白いと思った。
c0128628_1525532.jpg

帰りに、動物園の中を通って、不忍池方面へ出た。
両生類館のところで見た東京ダルマガエル。そう言えば、啓蟄のころですね。

マダガスカル館のそばには、ワオキツネザルの一群がこちらをじっと見ていた。
(人間は気づいていないけれど、動物たちは、人をじっと観察しているものです。)

ワオは、輪尾と書く。しっぽにシマシマの模様があるからネ。(笑)

by tamayam2 | 2013-03-15 15:26 | 日々のできごと | Comments(4)

【584】小田原にて 辻村伊助のこと

3月に入り、三寒四温の日々が続いています。北国からは、雪や雪崩の被害が
伝えられています。今年の冬は、殊のほか厳しかったようですね。
3月5日、春めいて気持ちよく晴れた一日、小田原へ行ってきました。
小田原の駅前で白秋のこんな言葉を知りました。
c0128628_13421877.jpg

小田原は、海もあり、山もありいいところなのに、なぜか人は、みな小田原を
通過して、熱海や箱根へ行ってしまう・・・。白秋は、小田原に住み、
私たちがよく知っているたくさんの童謡の作詞をしたということだ。たとえば、
「この道」、「からたちの花」、「ペチカ」など・・・白秋の作品1200篇の半数は、
小田原で生み出された。その白秋は、関東大震災(1923年 大正12年)で
自宅が半壊し、東京への移転を余儀なくされた。
北原白秋(1885年~1942年)
c0128628_1342507.jpg

来週は、東日本大震災の3周年を迎えるのですね。
関東大震災からは、今年は90年目です。

 この日、小田原に立ち寄ったのは、人伝手に聞いた「辻村植物園」というのを
訪ねてみたいと思ったからです。今は、小田原市が管理している自然公園ですが、
明治40年、辻村という素封家の六代目が、ここに広大な農園を開き、園芸用の
農場を経営したということです。辻村常助氏と弟の伊助氏です。
c0128628_13483769.jpg

 辻村伊助氏は、東大の農芸化学を卒業後、スイスで高山植物の研究をした。
アルピニストとしても活躍、スイス人女性と結婚し、帰国後、箱根湯本に本格的な
高山植物園を造園した。しかし、関東大震災で自宅の裏山が崩壊、家族全員が
土砂に埋もれて死亡。辻村伊助(1886年~1923年) 
登山に関するいくつかの著作もあり、
『スウィス』(1922年)、『ハイランド』(1936年)などが平凡社ライブラリーに
収められている。

私が訪れた辻村植物園は、広大な丘に白梅が真っ盛り・・・ちょうど良い日に
当たっていたが、訪れる人もまばらでもったいないようだった。
c0128628_16255558.jpg

小高い丘からは、小田原市内と青い海が見渡せた。

道路をはさんだもう一つの農園には、見事な竹林や、外国の珍しい樹木園ができていた。
ゴッホが愛した糸杉やオーストラリアに多いユーカリの巨木、イチョウの大木なども。
c0128628_13441133.jpg

c0128628_13442521.jpg

西洋でたくさんの植物園を見た伊助氏が、どんな構想をもって日本で個人の植物園を
経営しようと考えたのか・・・歴史上の人物の果たせぬ夢を探りながら梅林の中を
歩き回った。

by tamayam2 | 2013-03-06 13:45 | たび | Comments(11)