2017年 08月 23日 ( 1 )

【809】杖で歩いたヨーロッパ

先月7月31日~8月11日まで、ドイツに行ってきた。
第34回ヨーロッパキリスト者の集い に出席するのが主な目的だが、
旧友に会うことも、もちろん大事なこと。会場は、今回は、ドイツ
中部にあるLeipzig(ライプチヒ)。申し込みは、いつもその年の2月ごろで
飛行機は、FacebookのCMで見たFinnairにした。
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今回の訪問地は、ドイツ北部が多いので、成田→ヘルシンキ→ベルリンが 
広告で宣伝している「ヨーロッパへ最短距離」という惹句と合っているなと
思い、切符を購入。お値段は比較的安かった。しかし、搭乗日が近づくに従って、
航空会社とのコミュニケーションでわかったことは、基本料金は安いが、
いろいろなオプションが加わると特に安くはないことがわかってきた。
例えば座席、食事などいろいろな事前の選択ができる。私は、7月はじめ
から、少々足が不自由な人になってしまったので、ゆったりとした座席に
変えた。空港でも歩き回るのが辛いので、車椅子をお願いし、機内食も
特別に注文した。そのような個別のサービスを加えると、それに対して
お金がかるシステムになっている。
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必要な人に手厚いサービス、一般の健常者には、過剰なサービスはなし、
という方針が貫かれている。機内でWi-Fiを使いたい人は有料でどうぞ!と
いった具合。北欧の合理的な考え方をちょっと体験してみたいと思った。
結論から言うと、私は車椅子サービスは大変ありがたかった。
(これは、無料だった。)
客室内のアナウンスはフィンランド語と英語。離着陸のときと免税品
販売のときに、日本語のアナウンスがあったが乗務員は見かけなかった。

旅行は、ベルリン3泊から始まった。ケルンの教会の友人Aさんが、お嬢さん宅
に一足先に来られていたので、私は彼女と街歩きを楽しむことができた。
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我々のテーマは、宗教改革500年の記念年
まず、ベルリンから1時間ほど南下したところにあるヴィッテンベルグ(マルティン・ルターの本拠地)に出かけた。
地図の下の写真が、ルターハウス

1.ヴィッテンベルグ Wittennberg
宗教改革は、1517年ドイツ人のマルティン・ルターによって口火が切られた。
そのことによって、ローマ教皇をトップに仰ぐカトリックからプロテスタントが
分離した。ルターは、元々はカトリックの司祭だったが、免罪符を売って人の罪を
帳消しにするというカトリックのやり方に反発し、そのことの是非を世間に問い
かけたのが1517年10月31日と言われている。
「95か条の提題」と言われる抗議文を、ヴィッテンベルグの城教会の門に
打ち付けたのだった。どんな門なのかと思っていたが、下の写真のような門だった。
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当時は木製だったが、今は銅製。ラテン語で書かれている。
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その城教会の尖塔にベルトのように巻かれた文字が見える。
Ein feste Burg ist unser Gott この訳は、「神は我がやぐら」讃美歌267番
の歌詞になっている。Aさんと私は、心の中にこの讃美歌のメロディーを響かせ
ながら、歩いたり、歩いたりこの日、2万歩近くを記録。

その少し前に、カトリックに反旗を翻したチェコ人のヤン・フスは、コンスタンス宗教
会議で火あぶりの刑に処せられたのだから、命懸けの反旗だったと思われる。
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「最後の晩餐」の絵と言えば、レオナルドダヴィンチの絵が有名だが、16Cのドイツ
の画家、クラナハ父子のこの絵も有名だ。
町の中心にある聖マリエン市教会で12時から20分程度の礼拝があるというので出席。
中央にクラナハ(息子)の祭壇画が据えてあった。
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こちらは、絵葉書に貼り付けてあった記念切手。

この絵の中には12使徒ではなく、ルターや宗教改革の関係者が円卓を囲んでいる。
我々が見知っているルターの顔の絵はほとんど、クラナハ親子の手による。
小さな町の中心にヴィッテンベルグ大学があり、ルターやクラナハ、神学者メランヒトンが住んでいた。こういう役者がそろったところで、宗教改革の構想が熟成されて
いったのだろう。町全体が世界遺産。

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by tamayam2 | 2017-08-23 20:52 | たび | Comments(8)