【716】シアトルに叔母を訪ねる

シアトルに住む叔母は、私の父の妹で、大正10年生まれ、
先月94歳になった。
90歳のとき、息子二人が住むシアトルに引っ越してきた。
それまでは、ミシガン州デトロイトに一人で住んでいた。
過去ログ:2011年2月  90歳の誕生日祝い
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体も頭のしっかりしており、週に一度、赤十字の老人センターに出向き、
そこで、裁縫や編み物の奉仕をしている。
例えば、5歳ぐらいの子供のエプロンを同じ型のものを何十枚も作るとか、
子供がお昼寝をするときのマットのカヴァーを作るとか、
作品は、センターの要望に応じて変わる。
流れ作業で、ミシンが使える人は、ミシンだけ、アイロンの人は、アイロン
だけ、ボタン付けの人は、それだけというようになっているらしい。
叔母は、ミシン専門で、今でも普通のミシン、工業用のミシンを所有して
いる。その他にも編み物も担当している。

日本女性は、たいてい家庭科でミシンの扱い方を習っているけれども、
米国人は、ミシンなど家庭で持っている人は皆無。
扱える人は、ほとんどいない。(今は日本でも同じような事情かなぁ~)
その他に、日曜日に近くの教会にも行っている。
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私は、2014 年4月にも、ワシントンDCに行く途次、シアトルに立ち寄った。
今回は、西海岸ロサンジェルスから北上して、シアトルに行く。
飛行機で3時間足らず。
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SeaTac空港(シアトル-タコマ空港)に着く前に飛行機の窓から
きれいな山々が見えた。レイニア山の一部だと思うが・・・
カナダとの国境の辺りには3000m級の火山がたくさんそびえている。
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今回は、LAに住む従弟の洋子ちゃんを誘って出掛けた。
洋子ちゃんは、叔母の長女で、私と同い年。
叔母さんの古いアルバムを見ながら、昔の写真を見つけては
懐かしい人々の思い出話に華がさいた。
その一枚。1950年ごろ、5, 6歳ぐらいの私と洋子。
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前列: 左から、洋子、私の妹、私
後列: 左は、母(33、4歳ぐらい)と 洋子ちゃんの養母 綾子
叔母さんの家の庭に、クロカッスが咲いていた。
前の家の前庭には、早くもサクラが咲いていた。
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叔母は、NHK Worldを観ており、ラジオ体操、相撲、ニュース
など日本語放送を楽しんでいる。
われわれもいっしょになって、『初めてのおつかい 25周年』という
2時間番組を観た。
本当に、Pricelessな(値がつけれらない)、ひとときだった。
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叔母は、私とは日本語で、息子たちや洋子ちゃんとは英語で話す。
彼女は、日本では奈良女子大、アメリカでは、UCLAの卒業生だ。
よく学び、学んだことがすべて役に立っている・・・
教育の力が、一人の女性にドラマティックな人生を与えたと思う。

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by tamayam2 | 2015-02-27 18:04 | たび | Comments(9)
Commented by nenemu8921 at 2015-02-27 18:44
素晴らしいわね。ここ数日、楽しみながら、興味深く拝見していますよ。
ファミリーのきずなが強いのね。ウラヤマシイわ。
おばさまは素敵な日常を送っているのね。
94歳で人のために奉仕活動ができるというのは素晴らしいことです。
米国という環境のせいかしら。それともおばさま個人のパーソナリティによるものかしら。
昔の写真、可愛いわね。
tamayamさんの少女時代はきっと利発でチャーミングなお嬢さんだったのでしょうね。
私の記憶の中の叔母と言える人は一人もいません。さびしいな。
ミシンを使える人がいないというのも「ふーむ、なるほど、そーか」と思いました。
カルチャーショックです。
Commented by オーマ235 at 2015-02-27 21:33 x
tamayam さま
アメリカの諸事情は、驚き・感心・納得 etc.
楽しく拝見いたしております。ありがとう!
そして、アメリカにお住まいの叔母様。素敵ですね。
「人生かく在りたい。」と思わせてくださる方ですね。
溌剌としていらして、とても94歳とは思えません。
これからの生き方に、元気・勇気をいただきました。
それにしても、tamayamさんのルーツは、アメリカ
と関連が深いのですね。ハロウィーンの仮装の男児達
も叔母様の曾孫さんかしら? 曾孫を見れるなんて
幸せですね。
どうぞ、これからもお元気でご活躍くださいますように!!
tamayam さんも叔母様にあやかって益々のご活躍を!
Commented by tamayam2 at 2015-02-28 11:51
♡  nenemuさん、
私ごとですのに、お優しいコメントありがとうございます。
父のたった一人の妹で、今の言葉で言うと、歴女、10年ほど前に、Family Tree(家系図)という本を英語で書きました。その本のおかげで、
私もご先祖さまの生活を知ることが
できました。ウチにある古い資料など送ってあげると喜びました。
子供たちは日本語ができません。
日本にいる友人たちも大半は、鬼籍に入っています。
アメリカでは、こういうヴォランティア活動がさかんです。老人のためにも、よいことです。
できるだけ、自分の特技を生かして
社会のためにお役に立つことができれば。。。それが、直接、自分の孫などに向けられなくていいわけです。彼女は、赤十字の活動に参加できることをとても誇らしく思っているようです。
Commented by tamayam2 at 2015-02-28 11:56
♡  オーマ235さん、
私の祖父が牧師で、アメリカで神学を学びました。そのとき、父が生まれたので、父はアメリカ生まれです。それとは、別に親類の者がカリフォルニアに移民者として来たようです。初期の日本人移民は、たいてい、いちごやオレンジpickerだったようです。当時の日本人村の史料を見ますと、銭湯、寺、教会などがあり、祖父は、そういう教会の牧師だったらしいです。この叔母は、別の理由で渡米したようですが・・・歴史を調べると面白いです。(笑)
Commented by school-t3 at 2015-03-01 10:23
これからは、叔母さまを目標に頑張ります。
良い方をご紹介くださってありがとうございます。

それにしても奈良女子大からUCLA とは!
エリートの家系ですね。雲の上です。
Commented by tamayam2 at 2015-03-02 07:02
♡  school-t3さん、
奈良女子大は、昔は奈良女高師と言ったのですが、御茶ノ水と並んで国立の女子大としてはエリートコースだったのでしょう。しかし、叔母は結婚してすぐ夫が戦死、いわゆる戦争未亡人になりました。その時、学歴が幸いして、未亡人でも生活できたようです。その後アメリカに留学するのですが、当時の女性としては、苦労もあったと思います。
その場、その時々によく考え、祈って新しい人生を切り開いていったのだと思います。
人それぞれの人生は、貴重ですが、
この叔母の話は、さらりと語るのですが、感心させられることが多いです。
Commented by keicoco at 2015-03-03 19:34 x
素晴らしい記事をありがとうございます。私の母と1歳違いのおば様のこと、忘れないです。
Commented by tamayam2 at 2015-03-04 08:39
♡  keicocoさん、
お久しぶりです。あなたの最近のBlog拝見しました。2月がら3月にかけて
大きな出来事がたくさんあったのね。
お母上は、私の叔母より一歳年上、95歳のお誕生日を祝われたのですね。お葬儀やなんかでご心痛でしたでしょう。お寺が摩耶寺というのも驚きました。私の名のようでしたから。
品川区にあるのですね。
あのくらいの年代の人はほんとに
我慢強く、戦争を挟んで大変な時代を生きてこられました。
それに、バラクラの美術展で賞を
お取りになったのね。さすがです。
植物に対する愛、美しいものに対する感性がないと作品は作れない
でしょうね。おめでとうございます。今度またそういう機会がありましたら、拝見したいです。今回は、
私も渡米中でしたし・・・この2月は、
本当にあっという間でした。お元気でお過ごしくださいね。
Commented by keicoco at 2015-03-04 13:37 x
tamayam2さん

次から次へブログ更新、しかも素敵な調度のインテリアをご紹介くださってありがとうございます。
時々お邪魔します。まだ母の荷物の整理などがあって落ち着きませんが、もう少しの時間を経てパワフルになりたいと思います。
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